主人の労力は昼夜のわかちなく求められて、農繁期に机に向うことなどは思いもよらない。冬ごもりの期間にどうやら継続的に文学の仕事にたずさわることが出来るとして、ずっと辺鄙な地方での生活は文化的な雰囲気というものに欠けていて、その点でのいい刺戟を求める心持の激しさは、やはり東京へ、という思いに駆り立てる。
これまで、誰も彼も、文学への立志と上京とを結びつけて行動されて来たのは、ここの動機からであったと思える。都会のもっている文化と地方の生活の中にある文化との落差は、はたで一口に云えないニュアンスをもって深刻に存在している。都会の文化の中に人間の精神を強めるものと殺戮するものとがあるとおり、地方の文化のなかには別の形でその根づよさその伝統の力で、人間の精神を生かしまた殺すものがあるのは事実であろう。
文学の地方分散の傾向が、この面で大きく文化的な積極の作用をあらわし、土着の生活的な文学を創り出してゆく刺戟、鼓舞となれば、そこでこそ中村氏の感想に云われているような文学の豊饒への道がつけられるのだろうと思う。
火野葦平氏をかこんでの『九州文学』は一つの活溌な息づきを示そうとしていると思えるが
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