。アメリカの文学、ソヴェトの文学、どれも文体そのものの血肉の中に大きい陸地の上に生きて歴史を営んでいる人間の或る感じの特徴を脈うたせているという感銘は誰にとっても否定し得まいと思う。
 このことも何となし心にのこされている事柄の一つである。
 そこへ、六月『文芸』で中村武羅夫氏の「文学の地方分散」という感想を読んで、更に一つのものを加えられた心持がした。
 従来文学が中央へばかり集ってしかもそこで類型化し衰弱しているように見える昨今、文学の地方分散の情勢が招来されつつあることは、朝鮮・満州などの文学的動勢に対する中央の文壇の関心を見ても、九州文学、関西文学などの活溌さを見ても、将来の文学に多極性と豊富さをもたらすものとして、大いに見らるべきであるという論旨は、同感であると思う。特に素材主義の文学が正当な成長をとげ得ない社会的な理由にふれて、このことが云われているのも注意を惹かれる。火野葦平、上田広というような作家たちが都会生活にとどまらないで、それぞれの故郷でもとからの職業に復して、その上で文学の仕事をしてゆく態度への筆者の肯定も理解される。
 そして、「若い人」「麦死なず」その他から
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