れた。何か非常に薄くなって、乾燥して、根が出てしまっているのは何故なのだろう。生活に安定が出来たからとして、教師時代の作者の精神の張りを求めている評言もあった。しかし只それだけであろうか。もっと複雑な、微妙な、植木で云えば植え代えのときのむずかしさのようなものが、今のこの作家に存在しているのではないだろうか。云ってみれば、雪も深々とつもり、ぐるりの人は作者の水準からみれば愚かしくも親愛にめいめいの生存の線を太くひっぱって暮していたところから根をこいで来た都会では、舗道を荒っぽく洗って流れる雨と風とに、根の土も洗われる感覚で、作品の世界の幻想を作者自身本気に出来ないような落付かなさがあるのではなかろうか。ある地味では深かった根も、ここではその深さが役に立たずより多くの露出となって結果し、枯れるモメントとして作用するというようなことが、文化のギャップとでもいうようなものの極めて血液的ないきさつで存在するのではないだろうか。
このことは何となし関心にのこることがらであった。
大陸文学ということが云われ、内地の作家が大陸へ行ってものをかく。大陸での見聞を書く。だがそれで大陸の文学であろうか
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