のことも思い出されたが、あの作品に対して作者の態度にそういう立て前があってのこととは当時も肯《うべな》われなかった。今になって思えば「麦死なず」にしろ、題材やテーマに対する作者の態度に、客観的な意味での地方における文化の或る時代への批判が存在していたというよりは、むしろああいう調子であの作品が書かれたそのこと全体にこそ、地方の文化というものの性格の濃度が滲み出しているものであったろうと考えられる。
「若い人」にでも、そのことが感じられた。ひろくて深い柔かい蠢《うごめ》いている周囲の文化的な暗さの中に、一点明るい灯として作者もその中にいる狭い生活環境があって、まわりの暗さは一層その明るさの環内での人々の輪廓を鮮明にきわ立たせ、その動きをやや誇大した重要さで感覚させ、その意味では強烈にくっきりとしているから、ぐるり闇にかこまれていることから、自分の判断の世界にも確信はつよく、だが独善に座りがちであるという、そのようなものが、石坂氏の作品のかつての世界、或は雰囲気ではなかったろうか。
先頃『文芸』の「青春狂想曲」という短篇をよんで、東京住居になってからの石坂氏の作品の空気の変化に注意をひか
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