のことも思い出されたが、あの作品に対して作者の態度にそういう立て前があってのこととは当時も肯《うべな》われなかった。今になって思えば「麦死なず」にしろ、題材やテーマに対する作者の態度に、客観的な意味での地方における文化の或る時代への批判が存在していたというよりは、むしろああいう調子であの作品が書かれたそのこと全体にこそ、地方の文化というものの性格の濃度が滲み出しているものであったろうと考えられる。
「若い人」にでも、そのことが感じられた。ひろくて深い柔かい蠢《うごめ》いている周囲の文化的な暗さの中に、一点明るい灯として作者もその中にいる狭い生活環境があって、まわりの暗さは一層その明るさの環内での人々の輪廓を鮮明にきわ立たせ、その動きをやや誇大した重要さで感覚させ、その意味では強烈にくっきりとしているから、ぐるり闇にかこまれていることから、自分の判断の世界にも確信はつよく、だが独善に座りがちであるという、そのようなものが、石坂氏の作品のかつての世界、或は雰囲気ではなかったろうか。
先頃『文芸』の「青春狂想曲」という短篇をよんで、東京住居になってからの石坂氏の作品の空気の変化に注意をひかれた。何か非常に薄くなって、乾燥して、根が出てしまっているのは何故なのだろう。生活に安定が出来たからとして、教師時代の作者の精神の張りを求めている評言もあった。しかし只それだけであろうか。もっと複雑な、微妙な、植木で云えば植え代えのときのむずかしさのようなものが、今のこの作家に存在しているのではないだろうか。云ってみれば、雪も深々とつもり、ぐるりの人は作者の水準からみれば愚かしくも親愛にめいめいの生存の線を太くひっぱって暮していたところから根をこいで来た都会では、舗道を荒っぽく洗って流れる雨と風とに、根の土も洗われる感覚で、作品の世界の幻想を作者自身本気に出来ないような落付かなさがあるのではなかろうか。ある地味では深かった根も、ここではその深さが役に立たずより多くの露出となって結果し、枯れるモメントとして作用するというようなことが、文化のギャップとでもいうようなものの極めて血液的ないきさつで存在するのではないだろうか。
このことは何となし関心にのこることがらであった。
大陸文学ということが云われ、内地の作家が大陸へ行ってものをかく。大陸での見聞を書く。だがそれで大陸の文学であろうか
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