ンの「女の一生」は、こんにちも多くの人によまれている。特に日本では「女の一生」の主人公ジャンヌの運命は、まだまだ多くの婦人の運命につながったところがある。今日「女の一生」を読む日本の若い婦人たちは、あわれなジャンヌに同情し、憲法の文字の上だけ変っても、現実にのこる婦人の社会的な無力さについて痛感するであろうが、そこまでは誰でも同じだとして、それから先に、現代の日本の若い婦人のうちにあるいくつかのタイプがそれぞれのちがいをもって社会的反応を表してくるだろう。
 即ち一つのタイプはモーパッサンがこの小説を書いた時代(一八八三年)と一九五〇年の世界――その中でのフランス、その中での日本の歴史は非常に変化して来ていて、社会の現実はちがっていることには大して注目しないで、ごく大まかに、やっぱり女の人生ってどこの国でも同じなのねえと嘆息し、ぼんやりと、わたしはこんな一生は欲しくない、もっとたのしい女の人生だってあっていいわけだわとジャンヌの末路をおそろしく感じる。
 こういう受けとり方をする人の生活そのものを突っこんでみると、その人にとっては人生そのものが大体小説のよみかたに似た風に感じとられ、運
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