つぎにくりひろげられる情景の変化につれられてゆく気持ばかりではない。事件の発展につれて登場しているいくたりかの男女は、それぞれに人間としての心のかぎりをつくして行動し、事件そのものに捲き込まれていながらも、同時に事件そのものを判断する関係におかれている。その過程が読むものの心にまた独特の反響をよびさましてゆく、そのおもしろさである。言葉をかえていえば、わたしたちはその作品の世界にひきこまれることで、自分だけの日常には経験されていない人生の複雑な諸関係の間を通過しながら、自分だけの生活では自覚されていなかった社会関係、そこから生じる人間感情の葛藤と進展と批判をみいだすのである。わたしたちはそういう意味で、しっかりした文学作品をよむときには作品の世界の展開につれて、同時的に自分の生活の風景とその地理とを知らず知らずのうちに対比し、同時的にみなおし、評価してゆくという精神の労作を経験する。生活と文学の深い根がここにある。漫才や軽音楽やカストリ小説の、時にとってはおもしろいかもしれないけれども、感覚の中をただ通りすぎてゆく間だけの気紛らしとは全く質のちがう文学の存在意義がある。
モーパッサ
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