、忘れたり、混乱したりする知覚的な不確さに抵抗する人間の分別からおこっているということは、わたしたちに、文学というものが本来ふくんでいる、厳粛な価値を考えなおさせると思う。太古の民族伝説が初めて文学にうつされたときは、その民族にとって驚異の祭日であったにちがいない。
 民族文字をもっていないアイヌには、こういう伝説がある。昔、アイヌ族が繁栄していた時代には、アイヌも立派な民族文字をもっていた。ところが、アイヌの住んでいた日本へ侵略して来た民族が、字をしまっておいた唐びつを掠奪した。そして、アイヌはこんにち自分の字をもっていないのだ、と。
 この伝説は、圧迫を蒙って来た少数民族の嘆きと憤りとを語るばかりだろうか。わたしには、そればかりと思えない。もしわたくしたちの生活に毎日毎夜うけいれている文字のすべてが、独占資本の権力によって廻転されている印刷能力からうちのめされて来る文字だけであるとしたら、数千万の文字そのものを、それなりでわたくしたちの文学の文字ということができるだろうか。
 文学に大切な実感はこのように基本的な文字そのものの性格の検討にまで及んで行かないわけにゆかない。
 人類の 
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