。たとえば「細雪」の世界のように。それとも、今日いわゆる中間小説というものを書いておびただしい収入を得ている作家のある人たちが生きているように、そのふんだんな経済力で、妻をはじめ一家のなかをにぎやかに満足させて、非難をおさえておきさえすれば自分の男としてまた社会人としての異性関係などは、雄鶏一羽に雌鶏四五羽という風な生活をしても、生活と文学とは愛されているといえるのだろうか。
トルストイやドストイェフスキーの小説には貧しい不幸な人々に対する同情と、とみ栄えて権力を争って、冷酷な利己心に一生をつらぬかれている貴族たちに対する批判が強くあらわれている。これらの作家たちは、婦人の社会的な立場に対しても、ただのがんろう物[#「がんろう物」に傍点]ではない人間としての心を見出そうとしている。ドストイェフスキーの異常な小説の中には、いくたりかの強い特色のある女性の性格が描き出されている。「罪と罰」のソーニアのように。トルストイの「復活」のカチューシャの経歴とそれを通じて語られている彼女の人間としての抗議は、文学を愛するすべての人に知られている。モーパッサンの「女の一生」も。
これらの古典の中
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