]の感じかた、考えかたで満足しないで、自分の実感を大切にしなければならないと、中野重治が云っている。
 過去の文学では、実感というものが、私小説的に狭くとりあつかわれて来ている。その作家固有の個人的経験から生れた実感という風に解釈されている要素が多かった。そのために、一九四五年からのちの日本の社会の大きい動きのなかで働く人々として、大きい動きを経験した人々が、いざ、小説を書こうとするといつとはなしにしみこんでいる「実感」の枠――個人として書きたいと思うモティーヴと、目ざめた職場人として、書かなければならない労働者階級の日本の民主革命の課題に添っての集団的な行動経験など、その間にズレを感じる。そして、小説がかけないというゆきづまった感じをもつ場合が少くない。
 もうわたしたちは、これからの小説が生れる実感は、それがこんにちの生活からくみとられた真実の感銘であるという意味において、昔の作家たちの実感とはまるきりちがった性質のものになって来ているという事実を、勇敢に自分の上に認めなければならない時代に来ていると思う。
 生活の実感は短波が日常に及ぼす速報につれて短時間に拡大し、複雑化し、手に
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