という立体的な物体としてあらわされる。平面的に見えている側だけ書いても、それは五つか六つの子供の絵でしかない。童画は、原始人の絵画のように単純だが、鋭い感受性にパッと強くうつったその面だけの印象をうつすから、小さい子の絵はたいてい人間の丸い顔からはじまる。鼻や耳の細部は全然見おとされるか、さもなければあっさり描かれて、たいてい二つの眼が印象の中に大きく強く、とらえられている。それから口が。これは子供の脳細胞の生理的な発育の段階を語っている。
 風俗小説、中間小説の題材とテーマが性に最大の重点をおき、その点にばかり拡大鏡をあてて人間関係を見た状態を、この童画の心理にひきくらべて考えると、その気狂いじみた性への執念はむしろおろかしく、物狂わしい非人間生活の図絵としかみえない。社会が未開であったとき、性の神秘は人間誕生のおごそかなおどろきとむすびあわされて、性器崇拝となった場合もあった。けれども日本のいまの肉体文学のように、人間の理性の働きの面を抹殺した性への溺死は、軍国主義やファシズムの人間性抹殺のうらがえしの現象である。日本の敗戦がこういう社会経済事情をもたらしたから、いわゆる性的失業者
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