事をみてもわかる。現代の殆ど全部の文筆家・作家は出版企業のために、その利潤を得るために働いている。原稿料・印税で賃銀をしはらわれ、「先生」という呼びかたで、一種の立場にくぎづけされている。著作家組合が出来たとき、文筆家は、自分のところで、自分の道具で、自分の時間で執筆するのだから、外の勤労と条件がちがうと考えた人があった。税務署も、文筆家は、ほかの勤労とちがうとして、開業医、弁護士なみの所得税徴収の基準をたてている。私たちは、作家という社会的な仕事を、現実に自分の企業として行っていない。労作の努力、そのかげにかくされた永い歳月の辛苦、それらは一枚いくらという原稿料で支払われない人生の刻々の蓄積である。それをいわないで、勤労の標準価値としてみても、原稿料は、出版企業のより巨大な利潤に比べて比較にならない小部分をしめている。商品としてうごかされる一万部の本の一割二分、五分、が印税である。
そう見て来れば、文筆活動が、社会の文化生産のための勤労として、やはり、資本の本質にしたがった関係におかれていることが明白である。ただ、近頃一部の作家の間に流行しているように、小金をためて来た作家たちが、
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