の舞台で山口淑子のカチューシャは、何とも云えず貧弱であった。その姿にも声にも堂々とネフリュードフの感傷をのりこえた女の力がたたえられてこそ、カチューシャが、ネフリュードフにこれから先の旅の無意味をしらせる科白に実感があり、不幸からの復活がある。この場面になると山口淑子はもう酔っぱらったり、男を罵倒したりすることはやめた、ただの小市民の若い女になってしまうしかなかった。かぼそい、平凡な、そして、日本の浅弱な小市民的雰囲気につつまれて。――古い表現で云えば、もうふっつり考えをかえましたのよ、とでもいうような印象であった。だから、カチューシャが、傷の中から芽生えた人間確信にたってネフリュードフと訣別し、最後に、自分たちの上にあったすべての過去の不幸と無智とに向って、さようならを意味する挨拶として、床にまで手さきのふれるように低くロシアの女の相応なお辞儀をする。その低い、ゆるやかな一つのお辞儀は、復活全篇を流れてそこへ到達したテーマの結びとしてきわめて大きい内容をもったしぐさ[#「しぐさ」に傍点]であった。が、山口淑子は、それをそのような効果では演じられなかった。過去への訣別ということの深さを
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