「だし[#「だし」に傍点]は七輪にかけてありますから……どなたかお客さまです」
 がらんとした室に、ひろ子の又従弟《またいとこ》に当る青年がひとりで坐っていた。樺太の製紙会社につとめている父親や、引上げて来た母親、子供たちの様子をきいたりして夕飯のしたくが終ったとき、敷石の上を来る重吉の靴音がきこえた。
 ひろ子は、上り口へかけて出て行った。
「おかえりなさい」
 重吉は黙って、踵と踵をこすり合わせるようなやりかたで靴をぬぎすてて上り、ハンティングを、そこの帽子かけにかけた。いつもの重吉は、書類入の鞄から帽子から、ひどくくたびれたときには、その場で窮屈な上着までひろ子の腕へぬぎかけるのであった。
「けさはよっぽどおくれて?」
「一時間ばかりおくれた」
 青年のいる室へ入って、重吉は、簡単に挨拶すると、そこに来ている雑誌の封をあけて目をとおしはじめた。
「お着かえにならないの」
「…………」
 重吉は、洋服のまま、どうしたのか、ひるの弁当があまっていたのを鞄から出して、先ずそれをたべはじめた。
「どうして?――こっち上ればいいのに」
「いいんだ」
 つとめて、ひろ子は若い又従弟と口を
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