それが、泣き膨《は》れたひろ子の精神の渾沌《こんとん》を一条の光となって射とおした。ひろ子は、重吉の手をとって、
「ね、云ってもいい?」
ときいた。
「いいさ」
「わたしが、あなたの気もちを傷けたのは本当にわるかったわ。どうか許して頂戴。――そしてね、あなたは、あんなに永い間牢屋に暮していらしたでしょう? あすこには、決して、あなたに対する絶対の支持というものは存在しなかったのよ。いつだって、二重の、いつでも逃げ腰の親切か、さもなければはぐらかししかなかったのよ。そうでしょう?」
「…………」
「絶対の支持、ということがわかる? その幅の中で、どんなに憎まれ口をきいたにしても、馬鹿をしたにしても、それでも、なお絶対の支持であるという、そういう絶対の支持がわかる?」
ひろ子は泣き泣き云った。
「ひろ子の支持は、そういう絶対の支持だということがわかる?」
永い間沈黙していた後、重吉は、はじめて顔を向けて、正面からひろ子を見た。ああ、やっと重吉にとってひろ子は再び見るに耐えるものになった。ひろ子は、両手の間に顔を挾んだ。
「ね、わかる?」
「――絶対の支持なら、どうしてあんなことを云うのかい」
「わるい御亭主の見本?」
「そうさ」
「あら、だって母親だって自分の可愛い児に云うわ、わるい児の見本ですよ、ぐらい……」
「そういう調子じゃなかった」
ひろ子は、じっと重吉の顔をみつめた。苦しく、重く閉されていた重吉の表情はほぐれはじめて、二つの眼の裡にはいつもの重吉の精気のこもった艶が甦っている。ひろ子は、うれしさで、とんぼがえりを打ちたいようだった。
「生きかえって来た、生きかえって来た」
ひろ子は、小さい声で早口に囁いた。
「なにが?」
「――わたしたちが……」
重吉は、やっとわかったがまだ怪訝だという風に、
「しかし、ひろ子の調子に、そんなユーモラスなところはなかったぜ」
と云った。
「そうだったこと?――」
ひろ子は、恐縮しながら、いたずらっぽく承認した。
「そこが、つまりあなたのおっしゃるがんばり[#「がんばり」に傍点]の情けなさなのね、きっと。――でも、もうすこしの御辛棒よ、じき無くなってよ」
重吉を励しでもするように云った。
「あなただって相当強襲なんですもの」
こわい、絶壁をやっと通過したときのように、ひろ子は体じゅう軟かに力ぬけがした。ひろ子は、
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