ないみたいで……わかるでしょう?」
「そうしよう」
 それにつけても思いおこすという風で重吉は、
「――木暮の奴……」
と云った。木暮は、一九四四年頃どこかの刑務所から転任して巣鴨へ来た監獄医であった。病監での日常事で意見が衝突した重吉について、精神異状者という書類を裁判所へ出した。
「わたしはね、こんどこそ、本当にあなたを生かしたいと思って診てくれる人に診せたいの、いいでしょう?」
 十二年の間、重吉は彼を積極的に生かそうとする意志が一つもない環境の中で、猩紅熱《しょうこうねつ》から腸結核、チフスと患って、死と抵抗して来た。今度は、どうだろう、と、重吉の無言の格闘を遠まきに見まもられている裡で、死なずに生きて出て来た。吉岡に診ましょうと云われて、いきなり上着をぬいだ重吉が、ひろ子には犇々《ひしひし》とわかった。重吉はかえって来てから、自分が感じている善戦し責任を果した満足と歓喜とを、彼におとらない程度まで実感し、慶賀にみたされているいくつかの心があることを日ごとに発見しつつある。それは妻であるひろ子ばかりのことではなかった。歴史の野蛮な留金がはずされて、くりひろげられた世代の欲求のうちに、重吉の感じる共感が響いているのであった。あるときに、ひろ子を殆ど涙ぐませるのは、その共感に応える重吉の態度の諄朴《じゅんぼく》さと、普通にない世馴れなさであった。重吉の挙止には、ひそめられている限りない歓喜と初々しさと、万事につき、見当のつかないところがまじりあっていた。それらすべては青年から壮年へと送られた重吉の獄中の十二年が、彼の人間らしい瑞々《みずみず》しさにとって、どんなに乾いたものであり、胃袋と同じくいつもひもじいものであったかを知らした。しかも、重吉はそれらについては何とも自分から話さない。十月十日に府中刑務所から解放された重吉の同志たちが、すぐ郊外に集団生活をはじめていた。そこへ重吉につれられて行って、ひろ子は、昔会ったことのあった婦人活動家の一人にめぐり会った。そのひとから獄中で死んだ幾人かの人々の話をきいた。宮城刑務所にいた市川正一が、すっかり歯をわるくしたのに治療をうけられず、麦飯を指でこねつぶして食べていた。そうして生きようと努力していた。が、最後には僅か九貫目の体重になって死んだ。戸坂潤は、栄養失調から全身|疥癬《かいせん》に苦しめられて命をおとした。ひろ
前へ 次へ
全46ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング