通り、遠くの遠くの方から、シュッ、シュワー、シュッ、シュワーというような響と共に、
コロポックル、コロポックル
コロポックル、アナクネ、トゥママ、タックネップ[#「プ」は小書き半濁点付き片仮名フ、1−6−88]ネ
と唱いながら、ひどく沢山のコロポックルが風に乗って飛んで来た。
(コロポックル云々というのは、コロポックルという者は腰が短かい、という意味であるそうだ。)
そして、いつも通り男や女の声が、煩く喋り始めた。が平常のように、悪口や口真似ではなくて、今、Y岬へ義経の船が沢山攻めて来たから、早く出掛けて攻め返してやれ、と云うのである。
義経が攻めて来た?
そんなことが有るものか! と彼が云い返す。
すると、コロポックルは、それなら、論より証挙《しょうこ》だから、海岸まで出て見たら、好いじゃあないかと云う。
そこで成程と思ったイレンカトムは、仕舞って置いた弓矢を持って、ドシドシとY岬へ馳け付けた。
道もないような林や叢を、息せき切って馳けるイレンカトムの頭の上では、勿論コロポックルが、しきりに何とかかとか云い続けているのである。
Y岬まで出て見ると、成程、ほんとにそれらしい物が見える。
薄すりと靄《もや》の掛った海の磯近くに、五六艘の船がズラリと並んで、人の立ち騒ぐ様子さえ見えるのだからイレンカトムも、これはそうに違いないと思い定めた。
そして、飛鳥のように岬の端の端の、もう一足で海へ陥りそうな処まで出ると、弦を鳴らしながら、大声を張り上げて、呪を浴せ掛け始めた。
自分達の昔の祖先の宝庫から、書物や書く物を盗み去ったばかりか、また来て何か悪業をしようというのか! 神の戦士の六つの弓、六つの矢にかけてただでは決して逃すまいぞ!
というようなことを叫びながら、手を振り躍り上って戦いを挑んだ。
けれども、義経の軍勢は一向に注意を向けようともしないで、さっさと沖合へ漕ぎ出して行く。自分の挑戦が侮辱されたと思ったから、イレンカトムはすっかり腹を立てた。
白髪を振り乱し、自分の胸を撃ちながら荒れ廻っている……と、熱くなった彼の耳にフト、
「豊やーい、豊やーい、豊坊が……」
何とか云う声が聞えた。彼が忘れたくても忘られない名にハッと注意を引かれて、傍を見ると、二人の知己《しりあい》が自分の帯際をしっかりと捕えて、足を踏張りながら、後へ後へと引っぱっているではないか。
イレンカトムはびっくりして、一体どうしたのだと訊くと、どうしたどころではない、お前はもう少しで海に溺れる処だったのだと、通りすがりの彼等が、暴れる彼をようように押えつけた始末を話して聞せた。
その訳を聞いたとき、イレンカトムは、涙を流さんばかりにして、コロポックル奴に騙《だま》されたのを口惜しがった。
昔は、屈強な若者で、自分の手から逃げる獣はないとまで云われた自分が、小人風情に侮られて、惨めな態《ざま》を見られなければならないことは、彼にとっていかほどの苦痛であったか分らない。
二人に送られて家に帰ったイレンカトムは、神聖なイナオ(木幣)の祭場所に永い祈念を捧げた。
こんなことさえあったので、イレンカトムのコロポックルは誰知らぬ者のないほど有名になってしまった。
なかには、親切に、魔祓いのお守やら、草の根、樹の皮などを持って来てくれる者もある。何鳥の骸骨《がいこつ》がいいそうだと云って、故意《わざわざ》獲って来てくれる人もある。
皆が心配して、いろいろとして自分に近寄ってくれることは決して厭ではない。が、何かがその後に隠れていそうで、イレンカトムは心が穏やかでなかった。
ちょうど、豊のいないときに、こんなに成ったのを好い幸に、何か狙っているのではあるまいかと思う。
また実際、十人が十人まで真心からの親切だけであるかどうかは疑問なのだから、彼の心配も決して根のないことではなかったのである。
特に、一番近所に住んでいる或る和人《シサム[#「ム」は小書き片仮名ム、1−6−89]》の態度に対して、彼は非常な不安と警戒とを感じる必要があった。
一日に幾度かの見舞いと、慰めの言葉の代償として、彼の土地を貸して欲しいということを、山本さんに云って行ったのを知ったイレンカトムは、つくづく浅間しい心持がした。
自分も他人も疎《うと》ましい。何にもかにもが、彼には重荷になって来た。
けれども……。どんなことが起ろうとも、手から手へ遺して行くべき祖先代々の財物《たからもの》を、豊が帰るまでは守っていなければならない、というそれだけが、彼を生かしていた。
彼の父、父親の父、祖父の父というような、遠い昔の人々が命懸けで獲った熊の皮等と交換に、ようよう一つ二つと溜めて行った蒔絵の器具、太刀の鞘《さや》、塗膳等という宝物《イコロ》は、土地家畜等と
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