イレンカトムにとって、この小さい一員は、完くの光明である。
彼は、もう一生、自分の傍で自分のために生存してくれるはずの一人の子供を、確《しっ》かりと「俺がな童《わらし》」にした事によって、すっかり希望が出来たように見えた。
火に掛けた小鍋で、黄棟樹《ニガキ》の皮を煎じては、その豊《とよ》坊のクサをたでてやりながら、昔|譚《ばなし》をしたり、古謡を唱って聞せたりする。
大きな根っこから、ユラユラと立ち上る焔に、顔の半面を赤く輝やかせながら、笑ったり、唱ったりする大小の影が、ちょうど後の荒壁に、入道坊主のように写る。
それを見付けた黒が、唸る。
すると、豊坊がワイワイ云いながら、火の付いた枝を黒の鼻先へ押付ける。と、
キャン! と叫んで横飛びに逃げた様子がおかしいと云って、豊坊が転げ廻って笑う。
何がそんなにおかしいか、馬鹿奴、と云いながらイレンカトムの笑いも、ハッハッハッとこぼれ出す。
夜でも昼でも、年寄りの傍には、きっと小さい豊が馳けずり廻っていないことはない。
広い畑に出ているときでも、その附近にはきっと子供と黒がお供をしている。
日が出て、日が沈んで、日が出て日が沈んで、豊坊の身丈はだんだんと延びて行った。
大きくなるに連れて、クサもなおり、艶のいい髪の毛と、大きな美くしい眼と、健康な銅色の皮膚を持った豊坊に対して、イレンカトムは、完く目がなかった。
自分の淋しかった生活の反動と、生れ付きの子煩悩《こぼんのう》とで、女よりももっと女らしい可愛がりかたをするイレンカトムは、豊に対してはほとんど絶対服従である。
強情なのも、意気地ないよりは頼もしいし、口の達者なのも、暴れなのも、何となく、普《なみ》の一生を送る者ではないように思われて楽しい。
彼がそう思っている事を、いつの間にか、本能的に覚っている豊は、イレンカトムに対しては何の憚《はばか》る処もない。
一年一年と、感情の育って来る彼は、或るときは無意識に、或るときは故意に、思い切ったいたずらをしては、その結果はより一層深い、イレンカトムの愛情を煽るようなことを遣った。
生れ付きの向う見ずな大胆さと、幾分かの狡猾さが、彼の活々とした顔付と響き渡る声と共に、イレンカトムに働きかけるとき、そこには彼の心を動かさずにはおかない一種の魅力があった。
知らないうちに蒔かれていた種は、肉体の発
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