風に乗って来るコロポックル
宮本百合子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)殖《ふ》やした
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)昔|譚《ばなし》をしたり、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)武士であった[#「あった」に傍点]という話と、
−−
[#底本では、括弧(「)からはじまる会話文の2行目から、閉じ括弧(」)のある行まで1字下げ(1行だけのものは字下げナシ)]
一
彼の名は、イレンカトム、という。
公平な裁きてという意味で、昔から部落でも相当に権威ある者の子に付けられる種類の名である。
従って、彼はこの名を貰うと同時に、世襲の少なからぬ財産も遺された。
そして、彼の努力によって僅かでも殖《ふ》やしたそれ等の財産を、次の代の者達に間違いなく伝えることが、彼の責任であった。
混りっけのない純粋なアイヌであるイレンカトムは、祖先以来の習慣に対して、何の不調和も感じる事はない。
彼は自分に負わされた責任に対して、従順以外の何物をも持たなかったのである。
けれども、不仕合わせに、イレンカトムには一人も子供がなかった。
心配しながら家婦《カッケマット》も死んで、たった独りで、相当な年に成った彼は、そろそろ気が揉め出した。祖先から伝わった財産《たからもの》を、自分の代でめちゃめちゃにでもしようものなら、詫びる言葉もない不面目である。
自分がいざ死のうというときに、曾祖父、祖父、父と、護りに護って来た財物を譲るべき手がないという考えがイレンカトムを、一年一年と苦しめ始めた。
そこで彼はいろいろと考えた。
そして考えた末、誰でもがする通り、手蔓を手頼って、或る内地人の男の子を貰った。
何でも祖父の代までは由緒ある武士であった[#「であった」に傍点]という話と、頭こそクサだらけだが、なかなか丈夫そうな体付きと素速《すば》しこい眼付きが、イレンカトムの心を引いた。
その時、ようよう六つばかりだったその子は、お粥鍋《かゆなべ》を裏返しに被ったような頭の下に、こればかりは見事な眼を光らせて、涙もこぼさずに、ひどく年を取った新らしい父親に連れられて来た。
今まで、話相手もなくて、大きな炉辺にポツネンと、昼も夜もたった一匹の黒犬の顔ばかり見ていなければならなかった
次へ
全21ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング