いじく》っていた彼は、やや暫く経つと、フイと俯《うつむ》いていた首を上げて、
「やめるべし、な豊」
と云った。
肱枕《ひじまくら》で寝転びながら、プカプカ煙草を烟《ふか》していた豊は、思わず吐きかけの煙を止めて父親の顔を見たほど、それほどイレンカトムの声は哀っぽかった。まるで半分泣いているような調子である。これには、さすがの豊もちょっと、哀を催したような眼付きをしたが、一つ身動きをすると、もうすっかりそんな陰気な心持を振り落して、前よりも一層陽気な、我儘な言調で、
「俺ら、止めねえよ。もうきめたむん!」
と云い放した。
「東京さ行って、何仕《あにし》るだ?」
「商売《しょうべえ》よ」
「商売《しょうべえ》だて、数多あるむん、何仕《あにし》るだ?」
「俺ら、知らねえよ。出来るものう仕《し》るだろうさ! 何《あに》しろ俺あ行ぐときめただから」
「……」
「……」
「俺あ、金あねえ」
「無えっことあるもんで、お父《と》。僅《ちっ》とばっかし大豆なんか生《お》やしとくよら、この周囲《ぐるわ》の畑|売《う》っ払《ぱら》ったら、好《え》えでねえけえ、
無えなんてこと、あるもんで!」
豊は、炉の中に自暴《やけ》のように唾をはいた。
「売っ払うだてお父《と》のこったむん、また、父親《ミチ》にすまねすまねで、オ、アラ、エホッ、コバン、だから(心底《しんそこ》から売りたくない)俺あ売ってくれべえ。
ふんだら、祖父《エカシ》だてお父《と》を引叱らしねえ。
な、よろしと、そうすべえと!」
息子の大胆な宣言に、動顛したイレンカトムが可いとも悪いとも云う間をあらせず、豊は外へ飛び出した。
口ばかりでなく、彼はもうほんとに今、父親の手で耕している家の周囲、二町半ばかりの畑地を売る決心をしてしまっていた。
彼はもう三月も前から、その畑を売れば八九百円の金は黙っていても入るから、それを持って或る女と一緒にT港に行って、暮してやろうという目算を立てていたのである。
東京へ行くつもりでも何でもない。けれども、それだけの畑地を、握ってはなさない親父の手から※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80、389−12]《も》ぎ取る理由に、僅かの強味を加えるために、ただちょっと距離を遠くしたというだけのことなのである。
豊の心持で見れば、T港へ行った処で、どうせ永いことそこで辛棒して身を堅めようと
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