いうのでもない。
もうかなり永い間同じ狭苦しい町で、同じような人間の顔ばかり見て、同じような道楽をして見たところで始まらない。
処が変れば、また違った面白い目にも会うだろう。
彼の行こうとする第一の動機はただこれ一つなのである。けれども、彼の心持は、単純にそれだけのことを遂行したのでは満足出来ない。
自分の大掛りな快楽を裏付けする何等かの苦痛、何等かの犠牲が捧げられなければ、気がすまない。
気の小さい仲間の者達の、羨望や嫉妬の真只中を、泣き付く父親を片手で振り払い、振り払い、片手に女を引立てて、畑地と引換えに引っ攫《さら》って来た金を鳴らしながら、悠然と闊歩してこそ、彼の生甲斐はある。
詰り、彼がイレンカトムの処へ行ったのは、相談ではない。宣告を下しに行ったようなものなのである。彼は、毎日愉快な美くしい顔をして、鼻歌を歌いながら、土地の買いてを探していた。
それは勿論、イレンカトムの持っている土地全部から見れば、二町の畑はそんなに大した部分ではない。
彼はもう年も取って、自分で耕作することはむしろ苦痛なのだから、人に貸すことなら、承知もしただろう。
けれども永久に手離してしまうことは堪らなかった。地の中から生え抜きになっている彼は、何よりも「地」が大切である。が仕方がない。「可愛《めんご》い豊」のためになら、彼はそれも忍んだろう。しかし! 彼が東京等へ行くことだけは、そりゃあ決してならぬ! 決してならぬ!
自分は、もうこんなに年を取っている。いつ死ぬか解らない。その死目にでも会えないで、彼に譲るべき物を、あらいざらい、どこの馬の骨だか解らない和人《シサム》[#「ム」は小書き片仮名ム、1−6−89]達にごちゃまかされたら、一体どう仕様というのだ。東京へだけは行ってくれるな!
豊が、こんなにして、生きているうちから、彼の土地を売ろうと云っているにも拘らず、自分が死ぬとき、彼に財産の譲れないことを恐れているのである。
自分が死ぬとき、財産を譲れないことになりはしまいかという心配に到達すると、イレンカトムの頭は、豊の性格を考えているだけの余裕はない。
彼がどんなに、無雑作な陽気な顔付で、有り限りの土地を売り払うかということは考えない。豊の心にとって、年中黙りこくり、真黒けで世話を焼かなければ薯《いも》一つ出さないような地面より、金色や銀色にピカピカ
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