いう仕事の質の相異というものを強く感じました。事務所が出来た時父は四十一二歳でしたでしょう。それから二十年ばかりの歳月が経つと、娘は益々建築家としての父の業績を愛し、理解しようと欲することが激しくなって来たのですが、父の側では、事務所の内部的組立が経営的に分化し、組織化され、父自身は元のように最初のスケッチから細部のプランまで自身が主としてやらないでよろしいことになった模様です。別の云いかたで表現すると、父は依然として忙しく、活気に充ちているが、その忙しさの内容が変り、手帳の内容から、興味ふかいプランの成長過程の快い眺め、そういう労作の面が縮少されて来たのでした。
六十九年の生涯に、父は何冊の手帳をもったでしょうか、きょう、食堂のヌックに置いて生前父が使っていた書物机の奥をしらべていたらば、一冊のスケッチ帳形の手帳が出て来ました。茶色クローズの表紙で鼠色紙の扉にノート風の細かいペン字で、
(1) 大学図書館ヲ公開スル事
(2) 東洋美術発行ノ事
とあり、別行に、これは鉛筆で「電燈タングステン燈よろし」続けて、「木彫専門」「襖紙一式」等各建築関係専門店の名と所書きが並べられてい
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