一つを説明し、一つよりは他の一つが改良されている点を教え、非常に想像力を刺激するリアリスティックな言葉の描写で、そこが出来上った時の有様を目に見えるように話しました。この戸からすぐ庭へ出ると、庭は芝生で、薔薇の植込みがあり、ここの石の腰架のところでは小噴水が眺められる、夏なんぞ涼しいよ。今度は家の内から出て、まるで庭を歩いているように具象的に話しました。こういう晩は父の機嫌は元より上々です。従って私も父の想像に自分の空想を綯い合わせ、二人で家と人間とを合作して喋ったりしました。二人の話をきいていると、まるで雲の上だね、これは母が傍からの批評です。今日、私の貧弱な常識の中に、ほんの少しばかりでも建築・美術についての内容が加えられているのは殆ど皆、こういう父の手帳を中心にしてこの団欒の遺産です。
 晩年になってから、父は夕飯後の食堂で手帳をひろげることが追々少くなりました。仕事に対する父の愛が減ったのではなく、仕事について父の分担が年を経るままに変って来たのでした。そのことを、私は一度も父には直接申しませんでしたが、自分の心の中では或る避けがたい悲しみとして鋭く感じていました。文学と建築という仕事の質の相異というものを強く感じました。事務所が出来た時父は四十一二歳でしたでしょう。それから二十年ばかりの歳月が経つと、娘は益々建築家としての父の業績を愛し、理解しようと欲することが激しくなって来たのですが、父の側では、事務所の内部的組立が経営的に分化し、組織化され、父自身は元のように最初のスケッチから細部のプランまで自身が主としてやらないでよろしいことになった模様です。別の云いかたで表現すると、父は依然として忙しく、活気に充ちているが、その忙しさの内容が変り、手帳の内容から、興味ふかいプランの成長過程の快い眺め、そういう労作の面が縮少されて来たのでした。
 六十九年の生涯に、父は何冊の手帳をもったでしょうか、きょう、食堂のヌックに置いて生前父が使っていた書物机の奥をしらべていたらば、一冊のスケッチ帳形の手帳が出て来ました。茶色クローズの表紙で鼠色紙の扉にノート風の細かいペン字で、
  (1) 大学図書館ヲ公開スル事
  (2) 東洋美術発行ノ事
とあり、別行に、これは鉛筆で「電燈タングステン燈よろし」続けて、「木彫専門」「襖紙一式」等各建築関係専門店の名と所書きが並べられてい
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