々の生活からひき緊められるものの作用が大きく働いたのではなかったろうか。俳諧の流行そのものが、云ってみれば新興の文化であり、商人と一般庶民階級の自在な感情表現の欲求にその地盤をおいた文学であった。談林派の俳諧というものは、その先達であった貞門と同じように俳諧を滑稽の文学と見ており、談林は詩型のリズムに自由を求めると共に懸詞にも日常語を奔放にとり入れ、奇想巧妙な譬喩《ひゆ》を求めるあまり、遂には、
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山の手ややつこりや咲いた花盛
引窓や空ゆく月のおとし穴
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というような皮相な思いつきに堕した。
鬼貫はこの傾向に真面目な疑いを抱いた卓抜な何人かの芸術家たちのうちの一人で、「まことの外に俳諧なし」と思い定めた。「只心を深く入れて、姿ことばにかかわらぬこそこのましけれ」と考え、
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さは/\と蓮うごかす池の鯉
行水の捨てどころなき虫の声
なんと今日の暑さはと石の塵を吹く
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というような純真な作品を生んでいる。釣月軒という常套的な俳号から宗房が桃青という号に改めた感情も、俳諧を言葉や思いつきの遊戯
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