た。原因は何であったろう。いろいろのことが云われているらしい。例えばその時代の武士社会のしきたりに触れる女のひととの恋愛問題が、彼を故郷から去らせたという風な。実際には幾つかの事情がかたまって亡命させたのだろうが、原因はどうであろうとも、とにかく若殿の近侍であった宗房がその主人の死とともに出奔し得たところに、その時代の武士気質が崩れかけて、もう武家時代の気風と異って来ている空気が感じられて面白い。京大阪での五六年間を、宗房はこれまでのつづきで談林派の北村季吟の門に遊んだり、漢籍や書の修業に費したらしいけれども、彼の多感な青春彷徨は、武家時代をひきついで十七世紀の日本の歴史に新時代を画しつつあった商人擡頭期の京大阪の豪奢な日夜のうちに漂って、あらゆる現世的な色彩と歎息とを経験したのは当然であったろうと思う。江戸へ上ったのは宗房が二十九歳の寛文十二年であった。釣月軒として一人前の宗匠であったろう。青年宗匠として彼の才分は、もし生計を打算したら大阪で生活しても行けるだけのものであったろうのに、宗房釣月軒はどんな心持から江戸へ目を向けたのだろうか。江戸へ老後の安楽を求め、立身出世の道を求めて来
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