はあるまいか。そういう芸術探求の道で芭蕉でもやっぱり一度は禅宗などに踏み入っているのは面白い。
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渾沌|翠《みどり》に乗て気に遊ぶ
人死を待《まつ》て生《せい》たはいなし
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こんな禅臭の句も作った。しかし、芸術家としての彼が遂に一大勇猛心をふるいおこして、小さい囲炉裏《いろり》のような私一個の安心立命は思い捨て、この人生が彼にとって根本に寂しと観じられているならそれなり刻々の我が全生活をかけて、感覚と形象の世界へ突入してゆくことで天地の生気の諸相を捉えようと歩み出した。それが、
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野ざらしをこゝろに風のしむ身かな
秋十とせ却つて江戸をさす古郷
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にはじまる「野ざらし紀行」以後の一貫した態度であることは十分頷ける。元禄七年五十一歳で生涯を終るまでの十年、芭蕉はきびしく生活と芸術の統一を護って、「七部集」ほか「更級紀行」「奥の細道」等、日本文学に極めて独自な美をもたらしたのであった。云ってみれば、芭蕉の芸術などというものは爾来二百五十有余年、その道の人々によって研究されつづけて来ているよう
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