次のいたときから、何かにつけ、どうせ長う生きられんのだから、と口に出した。
「間食させすぎると、きまったとき御飯たべなくなることよ。顔色のわるいのもそのせいかも知れないよ、十時と三時にきめたら?」
 この辺は、食糧が乏しくはなって来ていても、まだ食事とお八つとを規則だてられる位はたっぷりしていた。つや子は、しかし深くききしめる様子もなく、
「はア」
と答え、
「ほんに、じらばかりいうて……」
 寧ろひろ子への云いわけらしくつぶやいた。癇のきつい昭夫は、その癇を無意識のうちに鎮めてくれる男らしい人間的な圧力や生活の規律が女ばかりの暮しに欠けていることから、とめどなく荒っぽくなっているのであった。母と嫁とは、ほかに男のいない生活で左右から直次をとりかこんで暮して来た。そのように、今は癇のきつい昭夫のまわりを祖母と母とが左右からはさんで近づいては遠のき、一応口先で叱りつけては、あとで一層機嫌をとって暮している。
 横になりながらひろ子は台所の騒ぎをきいていて、中心になる男が奪われた一つの家庭の不幸と生活の破綻というものの複雑なあらわれをしみじみと感じた。戦争の災禍は、この「後家町」で石田の一家の生活の根太を洗った。じかな、むき出しな災禍の作用を現わしている。家財を焼かれた人々の損傷の深さを、ひろ子は東海道、山陽とのった汽車が西へ来るにつれて思いやった。けれども、戦争の真の恨みは、どういう人々のところにこそあるだろう。国体論はかくした方がいいでしょうかと不安げに訊いた片脚の白衣の人の瞳の底にあった。そして、「後家町」の、ここにある。日本じゅう、幾十万ヵ所かに出来た「後家町」の、無言の日々の破綻のうちにある。
 ひろ子のこめかみをすべってつめたく苦い、渋い涙が、籐製の小枕におちた。戦争犯罪人という字句をポツダム宣言の文書のうちによんだとき、ひろ子は、その表現が自分の胸にこれだけの実感をたたえて、うけとられるとは知らなかった。ひろ子は、世界の正義がこの犯罪を真にきびしく、真にゆるすことなく糺弾することを欲した。

        九

「おばあちゃん、おばあちゃん」
 そう呼んでつや子が、母に何か云っている。おばあちゃんというようなよびかたは元来、ふっくりした優しいよびかけであるはずだのに、つや子のそのよび声には、呼ばれたもののこころを誘い出す暖いはずみよりも、押しつけるかたさが響いている。
 今度来て、ひろ子はそのことに気づいた。これまでもつや子は、おばあちゃん、又、おばあちゃんと、一日じゅう細かになかなかよく母を動かした。ひろ子は、冗談めかして、つやちゃんは甘ったれてよく働かせるのね、と云ったことがあった。まだ若いから、何いうてもたよりないのでありましょう。登代は気をよく説明していた。その頃の呼びかたは、同じおばあちゃんにしても、ちゃんというところに小猫のからむような甘みがあり、母の気質にとっては、そういう絡まりも快よいのであろうと思ってきいた。
 おばあちゃんという、軟い名をこわく呼んでいるいまのつや子も、呼ばれる母の身も、ひろ子にとっては気の毒にたえなかった。
 昔、ひろ子が駒沢の方に住んでいたとき、低い竹の四つ目垣越しに隣家の菜園があって、その奥に住居の縁側が見えた。一人のおじいさんがそこに住んでいた。嫁に当るひとが、おじいちゃん何々ですよ。おじいちゃん、こうですよと、日に幾度となく呼んだ。その声は、明るい午後ひろ子が机に向っている反対側の室まで手にとるようにきこえて来た。その時分ひろ子は石榴《ざくろ》の樹と、子供の土俵あとのある庭に向って小説を書いていた。そして、折々その声にじっと耳を傾け、あの声に愛があると云えるだろうかと思った。一日に呼ぶ度数が多ければ多いだけ、それは単調な生活の倦怠の中に抑えられた女心の苛だたしさをひろ子の心につたえたのであった。
 つや子の嫁入りの晩、ひろ子はその田舎町の料亭の座敷で、母のとなりに坐った。高島田に結び、角かくしをし、六月初旬に冬ものの黒い裾模様を長くひいて、仲人に片手をひかれた花嫁が立ちあらわれたとき、ひろ子は何とも云えない恐縮な思いがして、単衣の紋付の下に汗をかいた。角かくしの重い首をうなだれて入って来た花嫁に先立って、いくつもの箱を重ねた島台が恭々《うやうや》しく運ばれた。それは、花嫁からの土産であった。精一杯身を飾り、土産の品までもさし出して、見知らない石田の家の嫁になって来た若い一人の女の運命に対して、ひろ子は習慣の力のつよさというものに威怖を覚えた。
 となりの室におかれた古いレコードが高砂やを謡っている間に盃がとりかわされ、記念写真が、同じ部屋で撮された。北支から帰還して二十日ほどたったばかりだった直次は、これも冬ものの黒羽二重の紋付に仙台平の袴で、汗にまびれながらも美しい若者ぶりであった。写真をとるというとき、足が痺れて立ち上ったまま動けなくなった。ひろ子は、いそいでそこにあった椅子にかけさせた。写すときは、その椅子に花嫁がかけて、仲人であって同時に写真師でもある人がその裾の工合を直したりした。直次の婚礼の次第には生真面目さとともに田舎の町らしい一種のユーモアがあった。
 一年後、直次に二度目の召集が来た。
 その見送りにひろ子が来たとき、もう昭夫が生れていて、つや子のおかあはんが、おばあちゃんにかわっていた。話のはずみにふとつや子が、婚礼の記念写真のとき直次が動けなかったので、どうやら足が悪うなっているのではないかと思いよりました、と云って笑った。
「それどころか立派な脚があったでしょう」
 ひろ子も笑ったが、つのかくしのかげに伏ったままのようにあったつや子の睫毛《まつげ》の下から、ほんの一刹那のそのことが見のがされていなかったのにおどろいた。花嫁の神経の働き工合が察しられた。
 ひろ子のこころもちでみると、重吉の母は、下駄のうしろを引きずって歩くつや子に、こわばった調子でおばあちゃん、おばあちゃんと呼び立てられ、二人の孫をからませられるにふさわしい人ではなかった。ものわかりのよい姑《しゅうとめ》であろうとする登代の忍耐と努力。二人の子もちだというところから出る体の弱いつや子の落つきかた。
 重吉は、どう話されたら、このような生活の細部の感情までを理解するだろうか。
 窓から見ていると、治郎を紐でおんぶした母が、堤をのぼって新道へ出て行った。永年子供をおぶったりしたことのない小肥りな母の背中におんぶの形はちっともなじまず、それを見るひろ子の目を悲しませた。このこころもちを、重吉は、どう話されたら分るだろう。重吉はすべてを知らなければならない。ひろ子はそう思った。母とつや子と二人の幼い息子たちの生活のネジをまき直し、幸福をとり戻すために、重吉は必要なすべてのことを理解しなければならない。何故なら、母やつや子にいるものは、その一声によって自分たちの感情の整理までをして来た男の言葉、男のさしずである。しかし、その男がなくなったとき、女はどうしたらいいのだろう。女たちは習慣をかえなければならない。女だけでやってゆけることを学ばなければならない。しかもこの際、母とつや子が、その新しい必要を理解するために必要なさしず、言葉は重吉からしか期待されなくなっているのであるから。
 濡れているうちは、余り薄くて色らしい色も見えないインクで網走への手紙をかきながら、これから帰るのは重吉であろうか、それとも七年の歳月を前線で経ている進三であろうか、とひろ子は考えた。新聞やラジオは、八月十五日から一ヵ月たったその頃、南方の島々で、ちりぢりばらばらに武装解除をしている日本の部隊名をつたえていた。進三の部隊長が、どうか普通の分別をもった男であるように。ひろ子は切にそれを祈った。敗北の噂をきいて、食物もない山中の獣の穴へ部下を追いこむ愚かものでないように。進三は重吉とまたちがったやりかたで人によろこびを与える若者なのであった。
 母が、いつにもないそっとした様子で梯子をあがって来た。机に向っているひろ子を見て、
「おや、あんた、昼寝してじゃないの」
と云った。
「いいえ。おやすみになる? 枕出しましょうか」
「ええ、ええ」
 言葉をきって、
「縫子はんが来ておってでありますよ」
 低い声で何となしひろ子の顔色を見るように告げた。ひろ子は、奇妙な気がした。従妹の縫子は、ひろ子の東京の小さい世帯に一年半も一緒に暮したし、互に気があっていて、ひろ子がここへ来て縫子が訪ねて来るのは全くあたり前と思えるのであった。
「まあよく来たこと!」
 思わずそう云って立ち上ったとき、ひろ子は、不思議な感じを与えられた小声のしらせのことは忘れた。
 母のあとについて茶の間へ降りてみると、ガラス障子のところで、縫子が一人坐っている。もうよっぽど前から、そこにそうやっていたように、ぼんやりした所在なさをあらわした姿で坐っている。ひろ子は、また奇妙な気がした。
「どうしたの縫ちゃん。いつ頃から来ていたの」
 いぶかしそうに立ったままいきなり訊くひろ子を下から見上げるようにしながら、縫子はもち前の落付いた口調で、
「さア、小一時間も前に来たかしら」
 そして、懐しそうににっこりした。
「知らせがいったの?」
「いいえ。わたしお姉さんが来ておられることなんか、ちっとも知らなんだの。昨夜、直次さんの夢を見て、気にかかってせんないから、一寸しらせに来たら、来ておられるって……」
 縫子は、一里半歩いて、来ているのであった。
 夢で、直次がミヨシというところにいる、という話をしているのをきいた。さめたあとまで、あんまりミヨシという土地の名がはっきり聞えていて忘られないので、近所で旅行案内をかりて地図をみたら、
「不思議でありますねえ」

 縫子はしんから偶然の符合をおどろくように濃い眉を傾けてひろ子を見た。
「ほんにミヨシというところがありました。三次とかくの。芸備線で二時間ほど広島から行ったところに」
「ふーん。そんなことってあるものなのかしら。――そいで、どういうところなの、その三次《みよし》って……」
「病院はありますって」
「陸軍病院?」
「そうじゃないらしいけど……。もしかしたら、わたしつや子はんとつろうて行って見て来ようかと思って」
 黙って熱心にきいていた登代が、
「その三次《みよし》は、つや子はんがしらべに行きよった豊田村とはまるで別の方角のところじゃろ、のう」
「あれは万部線でありましょう」
「の、つや子はん、つや子はん、ちょいときてみさいの」
 ねむりかかった治郎をあぶなっかしくおんぶして、つや子が土間から上って来た。
「のう、あんたが、先度ゆきよったのは豊田村じゃのう」
「はあ」
「そのとき、本部で、三次たらいうところのこと云わなんだか」
「さあ……」
「縫子はんが夢を見たといの、つろうて、さがしに行こうかと云うてじゃよ」
 つや子は、薄すり凹んだ瞼をあげるようにして、縫子からひろ子、母へと視線をうつした。
「本部でも、云うてでありました。鳥取県の三朝《みささ》あたりまで分散治療に送ってあるよって、個人でさがしたら、一年かかってもよう分るまいて……」
 豊田村から又二里近い山下の国民学校に移った本部の残務整理責任者は、つや子に向って、石田直次軽傷と記入されている一冊の帳簿を開いて見せた。又別のもう一冊を出してみせたら、それには、石田直次の項に、行方不明と記載されていたのであった。
 ひろ子は、雲を掴むような話をきくにつけ、自分で一度豊田に行って来ようと決心していた。きのう着いて、つや子と母との話すのをきいているうちその心がきまった。
「じゃ、いっそのこと、こうしましょうか。私は、ともかく一遍どうしても豊田村へ行って調べたいから、明日、縫ちゃん行かない? そして、三次《みよし》のこともよくきいて、もし手がかりがありそうなら、まわって来てしまうわ、いかが?」
「――えらい難儀じゃのう」
 母が気づかわしそうにゆっくり呟いた。
「行ってもろうたら、それにこしたことはないけれど……ほん、東京であんな目えみて、
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