るという意地わるさが想像されなかったので、ひろ子は、いぶかしそうに、
「六時四十分て――午前?」ときいた。
「六時って云えば、午前だぐらい、ばかでもわかるだろう!」
たった十四五のその少年駅手は左腕がなかった。青服の子供らしく短い片袖が尖った肩から垂直にたれている。片腕のない少年駅手は両脚をはだけて段の上に突立ち、何もかも無くなっている駅で戸惑いながら、ひろ子のように間のぬけた質問をする旅客の一人一人に、復讐的な鋭い悪意の輝いた嘲弄で応酬しているのであった。
壊滅しつくしている市街と駅。そして小さい鬼のような少年駅手。ひろ子は、次の汽車までそこに居たたまれない気がした。また雨の中を馳けて、まだ停っている急行へよじのぼった。
「なあんだ、又のるのかね」
「ええ、岩国まで。――お願いします」
岩国駅で下りて、ひろ子は山裾の方を眺めた。幾条もの線路越しの彼方に遠く生木でこしらえた小屋が一つ見え、そのあたりに駅員の姿がまばらに動いている。ふりかえって、ひろ子は海岸を眺めた。きらめく瀬戸内海の碧さに向って巨大に建て連っていたもとの人絹工場、後の飛行機工場の白い建物や、陸軍燃料廠の棟々は、どこにも見えなかった。地面に大小無数の凸凹穴と、ねじ曲りへし曲げられた鉄骨屑の乱雑な堆積がそこにあった。でこぼこ穴には不潔なたまり水が腐っている。
給水所附近にあるような脚高の板棧道にひろ子のほか数人の旅客が、次の下りを待っていた。目の前に幾台も汽罐車がひっくりかえっていた。車輪を空へ向けてすっかり腹を見せているのや、なぎ倒されたまま顛覆しているのや、焼け爛《ただ》れてとけた鉄骨だけのこった貨車、客車が散乱していた。一台の自動車がふっとばされて来て、妙なごたごたの間に逆立ちして突こんだまま、そこで焦げ、エナメルがむけて錆びはじめている。
雨は小やみとなった。濡れるとも云えない軽い雨脚が、リュックにかかった。その板棧道には列車が停る側にきちんと一定の間隔をおいて、何ヵ所にも人糞が落ちていた。掃除もされず、そのまま雨に半ばとけかかっている。
西へ、西へと来て一夜あけたとき、ひろ子の周囲にあらわれた光景のすべては仮借ないものであった。
七
篠笹の藪と、すこしはなれた高くない山並の間の小駅で降りて、ひろ子は、駅前のひろ場へ出た。
右手に見なれた貨物置場がある。ダラダラと下ったところに往還が通っていて、向う角の消防ポンプ置場も、つき当りの呉服屋も、もとのままある。ひろ子は、安堵と一緒に哀愁を感じた。この前、ひろ子がこの小さい村の町に来たのは、直次に二度目の召集が来たときであった。ひろ子が駅から歩いてゆくと、ポンプ置場の前に一台、ベルの吊られた赤塗手押ポンプがひき出されていて、屈強な若い男たちがそのまわりにかたまっていた。その中に直次がいた。ひろ子を見つけて黙って笑いながらよって来た。今、そのポンプ置場のあたりも森閑として、人影もない。
ひろ子は、人通りのない狭い往還を北に向って歩み出した。半分ガラス戸のしまった理髪店。雑貨屋。精米所。商売をしていない菓子店。旅人宿。そういう店々が両側に一並び軒を連ねている。ひろ子は人通りこそ一人もないが、見えないどこかからか、往還を歩いてゆく自分の紺絣のもんぺ、さきの丸まっちい女学生靴、リュックに目じるしの赤ビロードの布はしが結びつけてあるのまで、すっかり見られていることを感じながら歩いて行った。
ほんの三四丁で、この往還は出はずれる。そのすこし手前に、重吉の家の土蔵が見えはじめた。土蔵の白壁がすこしはげ落ちている。
ひろ子は、胸がつまって来た。この土蔵の前から往還へ人々と旗とがあふれて、直次の第一回の出征が見送られた。その弟の進三が、母の登代と並んで実直な若者らしい体を正面に向けて入営記念写真をとられたのもこの道の上であった。
タバコ店を出してある方のガラスが閉めきられて、よごれた幕がひいてある。出入口のガラス戸が一枚あいているだけで、その鴨居には、「名誉の家」と木札が出されていた。
「こんにちは――いらっしゃる?」
声をかけながら、ひろ子はそっと店の土間に入って行った。せん来たときは、石炭、豆カス、麦、炭と、俵が積みあげられていた左手の板じきは、奥までがらんと空いている。よごれた柱が幾本も見えて、大きいカンカン量りが、隅っこにおかれている。左官材料のおいてあった反対側の土間もあいていて、脚のもげかかった籐椅子が一脚そこにある。
余り使われている様子もない事務机の端に子供帽子がのっかっている、その店の間も人気なかった。いかにも生活の湧き立つ波はひいたところという寂しさが全身に感じられた。
ひろ子は細長い土間を仕切っている立てつけのわるい障子をあけた。そこは台所であった。土間も流しもとも片づいて、やっぱり人気がない。直次たちがよく床几にかけて賑やかに忙しく朝飯や昼飯をたべていた板張にもんぺの膝を押しつけてひろ子は奥へ声をかけた。
「みなさん、お留守なの?」
一層声を大きく、
「こんちは」
と呼んだ。
「まア!」
ひょこんと、まるでついそこにいたようにつや子が、前会ったときと大して変ってもいない顔を出した。
「いたの? きこえなかって?」
それには答えず、
「まア! ように!」
つや子は、紺ぽいスカートをひるがえして奥へかけこんだ。
「おばあちゃん! おばあちゃん! 東京から見えてですよ」
すぐ、
「まあ、まあ」
と、心からの声をあげながら登代が出て来た。
「今ついて?」
「三時間もおくれてしまったもんで……」
「えらいのに、ほんにまア。さあさあ、お上りませ」
ひろ子の一瞥には、母のやつれの方が著しく映った。活気横溢という日頃の表情は母の顔立ちから消えて、絣の着物の肩がすぼけて見えた。
「直次が。のうあんた、ほんにまア、何と云っていいやら」
「電報ついたでしょうか。わたし速達を頂いた翌日立って来たんだけれど……」
「まだ来ん、のう、つや子はん」
「来ちゃ居りません」
つや子の語調はいやにきっぱりしていて、何か、そういう電報は土台うたれもしないものだと云う風にきこえた。
ひろ子は、母やつや子と話しているうちに悲しみよりも深い寂しさを感じて来た。直次の災難が知らされてから、一ヵ月余も経ち、しかも行方も不明、生死も不明というままに、今日では母も妻であるつや子も、直次を生きていない者としてあきらめて来ている。
驚愕し、混乱しとりとめなく心当りに問い合わせ、さめざめと悲歎する場面も与えられないまま、直次のいない干潟《ひかた》のようになった生活の日々がこの家にのこされた。母とつや子が小さい二人の息子対手に、商売もなく、人気もなくなった家のなかに暮していて、東京から来たひろ子を見たとき、思わずとりすがって愁歎するそういう気持の激しいはずみさえなくしている。
若いつや子が、涙を一杯ためながらも声の調子を変えず、直次をたずね歩いた時の様子を話すのをききながら、毛穴から汗のにじみ出して来るような苦しさを覚えた。ひろ子はこの状態において、あらわれた助力者という感じでうけとられていない自分を痛切に感じたのであった。
母も、つや子も、くりかえし、くりかえし直次がよく才覚し、よく稼ぎ、よく人に振舞い、よく儲けた手柄を話した。
「ほんに、あの位やわう(柔い)に出来た人間は、たんとないと思いませ」
そして、登代は、
「直次がよう稼いでくれよったから、こういうことになっても、つましゅうすれば何とか子供らを大きくするだけは心配のうやれます」
と云った。しばらくして、登代はいかにも、遠く手たらん[#「手たらん」に傍点]ものを思い出している風で、
「もうそろそろ重吉はんも、手紙みてじゃありましょう、のう」
と云った。
「そりゃ見てでしょう。どんなにびっくりしていなさるか。早く手紙でもよこせるといいけれど。困るわねえ、ああいうところは。――意地わるい規則があったりして――」
重吉は、治安維持法によって無期を云いわたされた。網走に移されたのはその年の六月であった。母には、巣鴨の拘置所もぐるりがすっかり焼けたので、漠然疎開のように説明してあるのであった。石田の長男である重吉のこころもちとして、父親が中風で床についたきりであった七年の間、それから直次や進三の入営、除隊、父の葬式、応召、婚礼、又出征、初孫の誕生という時々、ひろ子は出来るだけのことはして人々を満足させて来た。東京が焼け原になってしまって何一つ無くなった、ということも、殷賑《いんしん》だった東京と、その店々の印象を大切にもっている母には事実を疑わないまでも実感から遠いことであろう。
ひろ子が、作家として、もう五年の間、小説さえ発表させられない境遇にいるという現実も、ここのひとたちに、もとのように頼りになる者としてでないひろ子を感じさせるであろう。
四歳と二つの男の子たちが、紙風船と、色の塗ってない積木を畳の上にちらかして遊びはじめた。その素木の積木が、その年の九月初め日本橋の三越の玩具部に売っていた唯一の子供たちの遊び道具であった。子供たちに積木してやっているわきの座布団の上に、裾まわし分だけの紺秩父の布地と、ひろ子が母の丸帯を切って来た綾織の布地が、出しっぱなしてあった。ひろ子が東北の田舎からリュックに入れて背負って来た土産のしるしは、こんなものであった。
五時頃、この家から国民学校に通勤している従妹のしげの[#「しげの」に傍点]が帰って来た。しげの[#「しげの」に傍点]が、白い木綿のブラウスに西日をうけながら、裏の新道を小走りにかけ下り台所口へ入って来て、ただいまと云い終るか終らないに、土間にいたつや子が、挨拶にこたえず、
「しげの[#「しげの」に傍点]さん、お風呂の加減みにゃ」
と云いつけた。子供らと遊びながらひろ子は、それをきくと何となしびっくりした。障子のかげで、しげの[#「しげの」に傍点]の姿は見えない。けれども、そういうのが毎日のことになっているらしく、しげの[#「しげの」に傍点]は黙って向う座[#「向う座」に傍点]と呼ばれる小部屋へ荷物をおいてから、また裏へまわって行った。
裏山の茂った杉の梢に、溶けるような美しい斜光がさしていた。ほど近い駅の構内で、転轍した貨車がリズミカルな響を立ててぶつかり合いながら接続されている音が、海に近い西国の小さい町の澄んだ大空をわたってきこえて来る。台所から燃木のもえる煙が匂っている。何年もの間ここへ来たとき見馴れ、ききなれているそれらの地方色にかかわらず、自分たち石田のうちのものの生活は変ってしまった。
東京を立つ前、ひろ子は土産ものをさがして銀座の三越へ入った。がらん洞に焼けた地階のほんの一部分だけを、ベニヤ板や間に合わせのショウ・ケースで区切って、当座の売場にしてあった。紙につつんだ丈の口紅や、紙袋入りの白粉が並べられたりしている。一方の隅に、アメリカのどんな避暑地にある日本土産品店よりも貧弱な日本品陳列場が出来ていた。白樺のへぎ[#「へぎ」に傍点]に、粗悪な絵具で京舞妓や富士山を描いた壁飾。けばけばしい色どりで胡魔化した大扇。ショウ・ケースに納められているのは、焼けのこったどこからか集めて来た観光客向の縮緬《ちりめん》紙に印刷された広重の画や三つ目小僧がつづらから首を出している舌切雀のお伽草子類である。こんなものが商品と云えるのだろうかと怪しまれるような妙な金属の加工品、紐、網、安全カミソリが並べられている。光線の不充分な薄暗いベニヤ板の匂いのする売場の中に、どれ一つとしてまともでない物品のゴタゴタある店内の光景は、大都会の河岸に漂いよった生活のごみという感じを与えた。
東京に進駐してまだ三四日しかたっていなかったアメリカ兵が、あとからあとからと、その暗い洞のような、何を売っているのか分らない店の一方の入口から、入って来ては、もう一つの口から出て行った。
ひろ子が、一つのショウ・ケースのわきに立って眺めていると、二人づれの若いアメリカの将校が入って来た。み
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