と待っとって下さい。事務所さえあったら、きっと宿ぐらいなんとかさせますから……ここ動かんと待っとって下さい」
 案内係は、没義道《もぎどう》につっぱねないが、積極的な助力は出来かねた。
 じき、支店長が戻って来た。
「お待たせしました。さあ、事務所へ行きましょう。大丈夫です、宿は何とかなります」
 警察から七八間先の並びに、第一建物会社と大きい看板をかかげたバラックがあった。
 奇妙な組み合わせの三人の道づれが、一列になって入ってゆき、狭い机と床几の間で、姫路支店長というのに挨拶した。
「石田と申します、思いがけず大変御厄介になりまして……」
「いやいや、わたしの方が、どんだけお世話になったかしれません」
 眼の不自由なその人は、広島辺の、同じ会社の支店長をしているのであった。
 案内の若い者につれられて、三人は白鷺城の濠《ほり》について、人通りのない雨の道を、旧城下町へ入って行った。白鷺城は、遠目に見る天守閣の姿が空に浮きたって美しく、往復の汽車から眺めて通るひろ子の目にのこった。古い濠の水は青みどろに覆われていた。濠端の古い柳が、しずかに雨にもまれている。一つの橋をわたった。河に添った横通りの方に水が出ていて、女が番傘をさし、高く裾をかかげて、ザブ、ザブあちら向きに通ってゆく。一行は、水の出ていない方の通りを真直にゆき、二つばかり角を折れて、狭い通りにある一軒のしもたや[#「しもたや」に傍点]の土間に入った。
 土間まで入ってみれば、上り端の畳に衝立があったりして、人を泊める家らしい。通りすがりの外見では、それらしい様子がうかがわれず荒廃のあらわれたなみの家なのであった。先着した三人の若い復員兵が、濡れた皮革の匂いをさせながら、上り口いっぱいになって靴をぬぎかけている。
 ひろ子らのとおされたのは裏二階の六畳であった。日頃は家族の誰か若い女の室となっているらしかった。友禅メリンスの覆いのかかった鏡台があった。その上に白粉の箱が出したままである。古びた三尺の縁側の外は手摺で、そこに迫って裏の篠笹山が見上げられた。番小屋のようなものが、輪郭の柔かなその頂に建てられている。
 狭い裏梯子から、風呂場や厠《かわや》に行くようになっていた。その裏梯子に雨洩りがしていたし厠への廊下は、しぶきをとばして雨が落ちかかっている。階下には、様々の年齢の多勢の家族が格別客に気がねするでもなく暮しているらしかった。
 姫路という町の、破れ屋のようになった宿やに泊る端目になったことに、興をもってひろ子はあたりを眺めた。その日は、十月九日であった。きょうあたり網走の刑務所を出たとしても、重吉が四五日かかって東京へ着くまでには、まさか自分も帰りついていられるであろう。その安心が一つあった。東北本線は、山陽線とちがって、被害をうけていない、それも、ひろ子を安堵させた。リュックの中には一升五合ばかり米がある。これがまた更にひろ子の気を楽にさせるのであった。
 次々とこんな故障を征服して、一歩一歩、東京へ向って近づいてゆく。そのことは、却って、ひろ子の心を鎮める作用があった。網走から重吉も一人で、不便にあいながら、その困難を克服しながら東京へ向って来ている。二人は東京の家で逢う。ひろ子は平静にその瞬間を想うことが出来なかった。平静にそれまでの一日一日を待ちこすことも出来にくかった。もし、汽車が一夜ですーっと自分を東京まで運んでしまったとしたら、ひろ子は、重吉が来る迄の時間を、どうして過したらよかったろう。じっとしていられず青森まで出かけ、さて、そこでゆきちがったりしたら。――
 新しい故障、新しい道づれ。それらは、ひろ子の精神を、当面の必要のために落付かせ、ひきしめた。一つ一つ、こういう段どりを重ねて、東京。そして重吉というひろ子にとっての絶頂に達する。一つ一つ過程の曲折を、入念に力いっぱいに経てゆくこと、それこそひろ子にとって、十余年の忍耐のうち、身も心も傾けつくしてうたおうとする歓びのうたに、ふさわしい序曲の展開と感じられるのであった。
 ひろ子の一行が案内された当座しずまっていた隣室が、自然な騒々しさをとり戻した。隣室には、裏の縁側まで荷物をひろげて、朝鮮から復員した五人の兵士たちが降りこめられていた。もう一室、表側の室の復員兵たちと、ゆき来していて、なかに一人おっつぁん、おっつぁんと皆から呼ばれる、高声の慷慨家が交っていた。
 ひろ子らがつくと間もなく、割烹《かっぽう》服のかみさんが上って来た。宿帳をつけるでもなかった。
「ほんに、屋根の下にいるだけましと思っていただきます。御布団も何も疎開してしもうて、久しゅう廃業しとりますのに、皆さん、難儀なさかい、とめるだけ泊めえ、おっしゃりまして――」
 三人分の米を出しあい、かみさんはそれをもっておりて行った。新しい道づれの持っていた大きいボール箱には、ひろ子の口に珍しい松茸がつまっていた。
「きょう中に大阪へつく予定だったんで、米をもっていません、すみませんが……あした何とかしますから……」
 岡山から乗ったその男の松だけが、お菜になって出た。
 膳が運ばれたとき、新しいつれは、
「どうです、一口」
 そう云いながら立って床の間のスーツ・ケースをあけた。
「一口って――あるんですか」
 支店長が、きらいでもなさそうに、そっちを見た。
「ありますとも。――私は、人の機嫌をとる商売でしてね」
 アルコールの壜を出した。それを注いで水をわった。
「案外いいですよ、さっぱりして」
 支店長は、うたがわしそうに小コップをとりあげ、日本酒ののみかたで、チビリと流し込んだ。
「何や……こう……えろうカーッとしますなあ」
「そうですか、馴れるといいもんだがな」
 一方は、ブランデーをのむように、パッと口の中へあけるようにのんだ。
「――奥さんいかがです」
「私は無調法なんです、本当に駄目」
 新しい道づれは、名を云えば大抵のものは知っているらしい大阪のキャバレーの持ち主であった。ひろ子は、文楽以外に大阪をよく知らず、そのキャバレーがどんなに大規模なのかも知らなかった。慶大かどこかを出たその男は、惰勢とか卑俗とかいう字句をつかって自分の商売を客観的に、時には自嘲的に語りながら、やはりとことんのところではそれにひかれ、そういう面での敏腕をたのしんでもいるらしかった。
 表の三畳間に、一人永逗留の女客がいた。ひろ子は、そのひとの布団に入れて貰って、朝まで熟睡した。
 部屋へ帰って見て、ひろ子は思わず笑い出した。
 一枚のきたない掛布団をしき、二人の男が、行儀よく並んで仰向いて、パチパチ天井を見ている。上に一枚かかっているのも薄い掛布団だが、それは二人にかかるように横にしてあった。小柄な支店長の方はまだよかった。けれども、背のぐっと高いキャバレーの主人のやせた両脛は、白いズボン下を見せて殆んどむき出しになっていた。
「お寒かったでしょう、それじゃあ」
「いや、なに」
 そういうものの、二人ながらそれぞれに閉口していることは一目瞭然であった。
 又米を出しあって朝飯をして貰った。終ると男二人は前後して、降ったりやんだりの雨の中を駅まで様子[#「様子」に傍点]みに行った。
 一人になった部屋でひろ子は、くつろいだ。そして、きょうは十月十日だ、と思った。無期懲役だった重吉は自分の前にひらかれる扉の間を、どんな思いで通るだろう。自由になって、初めて踏む土は、重吉の草履の底からどんな工合にその心臓へ伝わることだろう。小一年監禁生活をさせられて急に外へ出たとき地べたが足の裏になじまなかった異様な感じを、ひろ子は思いおこした。そして、看守という伴《とも》のつかない一から十までの行動もその伸び伸びさが特別な感じであった。すべては重吉にとって新しく、世間そのものが十余年そこから生活を遮断されていた重吉にとっては新しいのだ。ひろ子には、その亢奮と、自覚するよりも大きい重吉の疲労とが、手にとるようにわかった。いのちに漲り、危険な疲れを潜め、而も一点曇りなき頭をあげて、重吉は東京へ帰って来る。
 ――帰って来る重吉は、ひろ子のところへ帰ってくる。――それにちがいないのだけれど――ひろ子は隣室の退屈した兵士たちが、代る代る裏廊下へ出て、空模様を見ては天候に悪態をついているのをききながら考えるのであった。ひろ子が、東京へ、重吉のところへと帰ってゆくこころもちとは、どこかちがうところがあり、その相異は決定的な相異であると思えた。今東京への途中にいてひろ子の念頭にあるのは重吉ばかりであった。重吉のことだけ思いつめて行動していれば、ひろ子にとって必要な生活の諸部面は、それにつれて拓けひろがって来た。重吉は、東京へ、ひろ子のところへと、いそぐ跫音がきこえるように帰りつつあるにしても、ひろ子は自分の存在が、重吉がそれに向って帰って来つつあるもの全体の中の核の一つとでも云うようなものであると考えた。
 これまでの十幾年の生活を思ってみれば、それは明かだった。ひろ子は、重吉というものなしに、自分のその間の生きかたを考えることは不可能であった。しかし、重吉はひろ子というものがいようといなかろうと、本質において、決してちがった生きようをする人間ではなかった。ひろ子は、これまでの平坦ならざる長い月日の間に、一度ならずそれを痛感した。
 例えば七年前、ひろ子はプロレタリア文学運動に参加したという理由で、起訴された。三年の懲役、五年の執行猶予が言い渡された。そのとき、ひろ子は文学にある階級性を最後まで主張しきれなかった。重吉は、自分の公判準備のとき、ひろ子に関する書類をすっかり読んだ。そして不自由な手紙の中で、数通に亙ってその批評をした。ひろ子が、どの点では譲歩しすぎている、どの点では、健気《けなげ》に理性を防衛しようと努力している、と。そのとき、ひろ子は学んだ。ひろ子にとって最小限だったそれらの譲歩は、重吉としてみれば、妻としてのひろ子に寛容し得る最も大きい限度に近いものであったのだ、ということを。
 ひろ子に対する重吉の寛容、堪忍づよさは、ひろ子なしではやってゆけない重吉だからそうなのではなかった。全くその反対であった。重吉はひろ子なしでもやってゆけるが、ひろ子のまともな生きかたにとって重吉は不可欠である。それを重吉が知りつくしているからのことである。そして、ひろ子との関係をそのように血肉のものとして理解しているのは、重吉の愛によるのであった。
 隣室の兵たいは、あーあ、と退屈のやりどころない伸びをして、
「チェッ! 底ぬけでやがら」
 舌うちした。
「きょうも、涙の雨がふる、か」
「冗談じゃねえよ。あの思いで遙々朝鮮くんだりから還って来てよ、内地へついて吻《ほ》っと出来るかと思いゃ、大阪を目の前に見て足どめだ。二日だぜ、もう!」
 むきになって云っているおっさんの声をききながら、ひろ子は、熱心に思いつづけた。ひろ子が、きょうこんなよろこびで二人の暮しを想うことが出来る、その可能を、あのとき、この折と、根気づよく導き出しながら困難な永い歳月を通って来たのは、何のおかげによるのだろう。それほどひろ子の愛は常に深いおもんぱかりに充ち、一本だちで、歴史の発展を見ぬいたものであったろうか。知らないうちに重吉が手をとって、いくつかの暗礁をこさせて来てくれていた。
 ひろ子は、東京ではじめて重吉にあうとき、自分として第一に云うべき言葉は、彼の永年の辛苦に対する心からのねぎらいと、同じ心からの感謝であると思った。二人でここまで生きて来られたことに対して。
 いきなり隣の部屋で、バタンと畳にぶっ倒れる音がした。
「大阪じゃ、家族の居どころさえわかっちゃいねえ。――俺あ、戦争には愛想もくそもつきはてたぞ」
「…………」
「どうだ無理かよ。――無理じゃあるめえ」
「うん」
「貴様らあ、まだ若いからいいさ。俺あじき五十だぜ、考えてみろ。ぶっ殺されたってもう二度と戦争なんぞへ出てやるもんか」
「もう戦争は、しねえことになったんだとよ」
「ふん」
 そうなったのが、おそすぎるのをさも
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