、日本は勝つとばかりおそわったろう? おばちゃんは、随分話したいときがあったけれど、伸ちゃんは小さいから、学校できかされることと、うちできくことと、余り反対だと、どっちが本当かと思って困るだろうと思ったのさ。だから黙っていたのよ」
戦争の十四年間、行雄の一家は、初から終りまで、惨禍のふちをそーっと廻って、最小限の打撃でさけとおして来ていた。主人の行雄が、本人にとっては何の不自由もない些細な身体上の欠点から兵役免除になっていた。それが、そういう生活のやれた決定的な理由であった。所謂《いわゆる》平和建設の建築技師である行雄は経済封鎖にあっていた。手元も詰りながら、一般のインフレーションの余波で何とか融通がついて、一年半ほど前から祖父が晩年を送ったその田舎の家へ一家で疎開暮しをはじめたのだった。
戦争中、新聞の報道や大本営発表に、ひろ子が、疑問を感じる折はよくあったし、野蛮だと思ったり、悲惨に耐えがたく思ったりすることがあった。ひろ子の気質で、そのままを口に出した。行雄は、それもそうだねえと煙草をふかしている場合もあったし、時には、姉さんは何でも物を深刻にみすぎるよ。僕たちみたいのものは
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