。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これ迄ひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。ひろ子は、身内が顫《ふる》えるようになって来るのを制しかねた。
 健吉を抱いたまま小枝が縁側に出て、そっと涙を拭いた。云いつくせない安堵と気落ちとが、夜の間も脱ぐことのなかった、主婦らしいそのもんぺのうしろ姿にあらわれている。
 伸一が、日やけした頬をいくらか総毛立たせた顔つきで、父親の方からひろ子へと視線をうつした。
「おばちゃん、戦争がすんだの?」
「すんだよ」
「日本が敗けたの?」
「ああ。敗けた」
「無条件降伏? ほんと?」
 少年の清潔なおもてに、そのことは我が身にもかかわる屈辱と感じる表情がみなぎっているのを見ると、ひろ子はいじらしさと同時に、漠然としたおそれを感じた。伸一は正直に信じていたのだ、日本が勝つものだと。――しばらく考えていてひろ子は甥にゆっくりと云った。
「伸ちゃん、今日までね、学校でもどこでも
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