した。
「あんまり云わないで……」
ひろ子は弱々しく篤子に囁いた。十二年の生活の間に、ひろ子は、きびしく自分をしつけて来た。重吉と自分とのことで、世間並にうれしいこと、そうありたいこと、そうなったらばどんなに嬉しかろうと思える予想には、最大の用心で、うかつにうれしがらないように抵抗した。
拘禁生活の七年目に、重吉が腸結核を患って、危篤に陥った。拘置所の医者が、ひろ子に「時間の問題です」と告げた。医者は検事局へ、入院手当させる最後の機会であることを通告した。そのことも、ひろ子は知っていた。ひろ子は、どんなに療養所を調べ、医者に相談し、費用を調達して、待っただろう。
検事局は、拘置所の医者の注意を拒絶した。重吉が思想の立場を変えないからというのが却下の理由であった。そして、ひろ子が弁護士と一緒に検事に面会して、療養許可を求めたとき、その検事は笑って、
「どうせ石田君は、はじめっから命なんかすててかかっているんだろうから、今更あなたが心配されるにも当らんじゃないですか」と云った。
明治時代から巣鴨の監獄と云われていた赤煉瓦の建物は、数年前にとりはらわれ、そのあとが広い草原になっていた
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