、その若い士官の横に立った。
「じゃ二百八十三円頂きます」
大股をひらいて座席にかけたままむっとした面持で、蒼い顔の若い士官は大きい紙幣入れをひらき、新しい十円札をつかみ出すようにして車掌に渡した。その代りとして紙片がかえされた。
「これで事務が片づきましたから申しますが、さっきの雑言は、あれは、どういうわけです」
ぎごちなく神経のこわばった若い士官は、こんな情況になることとは予想もしなかったらしく、剣相な上眼づかいで、低く何か答えた。
「生意気だ、気にくわんとおっしゃるが、私のどこに生意気な挙動がありました。不正乗車をしているのは貴方です。私は車掌として事務をとっただけじゃないですか。ひとこと罵倒でもしましたか。じき手続をして上げますと云っただけじゃありませんか」
言葉にもつまるという激昂で、車掌は青年士官を睨まえた。士官の方も、もう一ヵ月前ならばと文字に読まれる形相で睨み上げている。その面上につばきするように車掌が云い捨てた。
「あなたのようなのが軍人だから、日本は潰れたんだ!」
ひろ子は、どちらの顔も見ていられなかった。
その若い士官の前には、襟章をもいだ制服の陸軍将校
前へ
次へ
全220ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング