家が遠いからばかりではない。五兵衛たちのぬけ目のない日暮しの才覚が縦横に走っている村人の生活の流れの筋は、富井の屋敷のぐるりを四角く囲んで、白いどくだみの花を咲かせている浅い溝まで来て、ぴたりと止っている。ひろ子は切実に、それを感じた。村の人々の生活の流れはそこまで来て一応とまった。また折れ曲って、次のどこかへ流れ込むにしろ、決して富井の内庭までびたびたと入って来ることはないのである。
 これは、小枝のせいでも、行雄のせいでもなかった。富井という家がこの土地でもって来た家としての性質が、今、はっきりと証明されている意味であった。富井の一家は、村の農民仲間ではない。中学校の教師でもなかった。その人々から見れば、富井のものが自分たちと全く一つ利害に立って暮しているとは考えられていない。そういう立場の反映であった。
 ひろ子は、いよいよ重吉のいる網走へ行きたく思った。そこで、ひろ子はたった一人むき出しの生活をしなければならない。思想犯の妻という、狭い暮しであるかもしれない。しかし、そこではひろ子はひろ子なりに、愛されても憎まれても、それはみんな自分に直接かかわることとして生きて行けるだろう。
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