が変った。何とはなしに絶えず気を配り、敏捷に動き、夜になってから、重いリアカーを父子づれで杉の木の闇へ曳きこんだりすることが多くなった。それにいくらかふれるように、
「ゆうべはおそくまで御精が出たのね」
 流しのところで小枝が、そう云っても、
「はあ。なんだかしんねえが、はア……」
 おとめはあいまいに受け流したまま、いそいで井戸ばたの方へ去った。
 これらの、小さいけれども意味深い一つ一つの徴候が、ひろ子の心に感銘を与えつつ重ねられて行った。
 富井の一家のいる村は、市に併合されて町になってから、まだ間のない開墾村であった。明治政府が、大久保利通時代の開発事業の一つとして、何百町歩かの草地を開墾し、遠くの湖水から灌漑用の疏水を引いた。その事業に賛成して、町の資産家たちは「社」を組織して、資金を出した。開墾が出来たとき、「社」の連中は出資額に応じて、田地を分割した。農民は維新で疲弊した東北地方のあちらこちらから移住して来て、初めからこれらの農民の生活は小作として出発された。時代が移っても、小作が多くて、田地もちの少い村であることに変りはなくて、今日まで来たのである。
 恐ろしい戦争がす
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