、棲むところは網走ひとつに思いきめて、ひろ子は青森が空襲をうける度に、あら、またよ、と歎息した。青森市は焼かれ、連絡船の大半が駄目になったのであった。
切符が手に入れば、明日にもそちらへ行くと書いた手紙を封筒に入れながら、ひろ子は、ほんとに、この行李が海をこえるのかしらと思った。東京の親切な知人が、つてのない網走へゆくときめたひろ子を思いやって、すこし離れた都会にいる或る人に、紹介をたのんでくれた。待ちかねるほどたって返事が来た。ハガキにせわしい字で、当地も昨今は空襲を蒙るようになった。知人も疎開したり死亡したりしていて御希望に添うような便宜は得にくい、御主人によくお話になり、御渡道はお見合わせになるが然るべく、という意味が書かれていた。
「御主人によくお話になり」――云いつけで、ひろ子が遠いところへ行きでもするように。――懇篤な紳士と云われる人が、身に迫った戦禍に脅えて、浅く迅く視線を動かして身辺を視ている落付かないさまが、ハガキの面に溢れていた。またそこには、一人の女としてひろ子が体にからめて運んでいる面倒な事情も、おのずから影響していると思えた。
実の弟の家へ逗留しているとい
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