ちの生活への思いが、絡み合って浮び、消えた。
六
汽車はいま、どの辺を走っているのだろう。ハンカチーフでうたたねから醒めた顔をふきながら、遠くまでゆく旅行者らしい視線で、ひろ子は窓外を見た。が、そこにある眺めには、地方色もなければ、生活らしい生活の動きもなかった。列車は丁度かなり大きい駅の出はずれを走っていて、左右とも市街の廃墟ばかりであった。平ったく、ただ一面残暑の日光にさらされている廃墟は、云いようもなく単調で、どんなに決定的な破壊の力がここに働いたかということを印象づけるのであった。列車はじきその風景をつきぬけ、こんどは、まるで無傷な自然と云う風な九月の東海道の、濃い緑の中に突入してゆくのである。
一日に一本出る下関行下り急行が東京駅の鉄骨だけがやっとのこっている円屋根の下を出発してから、見て来た沿線の景色は、それを景色だと云えただろうか。京浜はもとより、急行列車が停るほどの市街地は、熱海をのぞいてほとんど一つあまさず廃墟であった。田舎らしい緑の耕地、山野、鉄橋の架った大きい河、それらの間を走って、旅めいた心持になる間もなく、次から次と廃墟がつづいてあらわれた。
はじめのうち、乗客たちは、
「いや、これはひどい。東京ばかりのように思っていたが、どうして、どうして」
のび上って眺めたりしていた。半日近くも同じような廃墟の間を走りつづけて来た今、旅客はこの反覆される光景に馴れ冷淡になってしまった。
くたびれが出て、大変長い間眠ったような気分で目がさめたひろ子は、いくらかきまりわるい表情で、前や横で、人々が弁当をひろげはじめているのを見た。ひろ子は時計をもっていなかった。時刻の見当もつかない上、どこまで来ても窓からみる景物のくりかえしは同じだものだから一向東京から出切っていないような、ちぐはぐな目ざめ心地である。
白絹のシャツに巻ゲートルといういでたちの岩畳な骨格の男が、ひろ子の向い側にいた。力仕事で五十過まで稼いで来たという手つきで、竹籠の中から薬ビンを出し、小さいコップに液体をついだ。そして、それを隣りの軍人にすすめている。
「ひとくち――いかがですか、メチールでないことだけは保証いたします」
上着はぬいで、白シャツだけになっている将官は、
「いや、これはどうも。折角ですがやりませんから……」と、丁寧に辞退した。
「じゃあ――失礼いたします」
うまそうに、その杯をのみほし、更にもう一杯のんで、食事にかかった。細々といろいろの食べものを、いくつかの包みにわけてその竹籠に入れて来ているらしいのだけれども、その反歯で日やけした、眼つきの明るく柔和な男は、決してその包みを竹籠から出して、ひけらかすような食べかたをしない。遠慮がちに、しずかにたのしんでいる。一見して土木請負業と思える万端と、少しかわって特色のある眼つきとそのとりなしとは、ひろ子の興味をひいた。軍人も、弁当をひろげた。それは竹の皮につつんだ三個の握り飯と佃煮と梅干である。若い従卒が、通路の荷物の上にもたれるようにかけていた。その従卒が水筒から茶をついだ茶碗をわたした。白い厚焼の、どこの役所でも使うものであるが、そこに二つの字が入っている、「教・総」と。陸軍で、教・総と云えば、教育総監関係しかないだろう。この軍人は、では、そういう部署の、そういう茶碗を人前でも使う位置にあるものなのだろう。今はぬがれている軍服の上着に肩章も襟章も、もがれてついていなかったことが思い出された。上着には略章のいろいろな色だけがつけられていた。剣も吊っていない。丸腰で入って来た。先着して座席をとっていた若い丸顔の従卒は、挙手の礼はしないで、ただ起立して、その席をゆずった。それらの光景を、ひろ子は東京駅の混雑の裡に思い出すことが出来るのであった。
三個の六分|搗《づき》の握り飯は、誰の目にも質素な弁当である。湯呑茶わんについている「教・総」という二つの字、それから推察されるその軍人の地位、それらは質素な弁当を当然に思わせた。
ひろ子は三日前、東北のある町から東京まで戻った。途中若い海軍士官とのり合わせ、彼が車掌と論判し、互に辱しめ合う苦しい情景を目撃した。苦悩が剣相さとなってあらわれている蒼い顔で、その若い士官は論判の後弁当をひろげ、部下にも食えと云ってさし出した。それは、びっくりするほどぜいたくな、世間ばなれのした料理であった。ぜいたくな食いものは、周囲の乗客の注意をひき、一層その若者に反撥させた。若い士官は明らかにそれを自覚していた。が、それが何でわるい、という肩つきで、まずそうに乱暴にそれを平げて行った。
下関近くの、重吉の故郷へ向ってこの列車にのりこんでいるひろ子は、東北から上野へ向って来たとき同様、旅客の中にほんの僅な女の一人旅であった。
東
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