ろ子にとっては、それが半里だろうと、三里だろうと、もうそれより先は歩かないでいい、というのがありがたかった。
「さあ、もうこんどのったら明石までバタバタせんでええのやから楽です」
 ここでトラックを待っている列は、妙な列で、一つもしまりがなかった。七人も八人も一列に押し並んでいるところがあるかと思うと、三四人パラパラと荷物の上にしゃがんで梨をかじったりしている。数台のトラックが真面目に往復しなければ、さばけそうもない人数であった。だが、人々は道端にもう一時間以上、そうやって只待っているのであった。
 時々、むこうから復員兵を満載した大型トラックが疾走して来た。ぎっしりつまって四角く突立ってのっている若い兵士たちは、道ばたにだらしなく動くあてのない列をつくって待っているひろ子らの群とすれちがうとき、ワーと賑やかに声をあげ、通過して行った。そういうトラックはどれもが、おしげなくスピードを出しているのであった。忽ち小さくなってゆく後かげを見送りながら、
「チェッ!」
 羨望と嫉妬で舌うちする男があった。
「――あいつら、みんな朝鮮人なんだぜ」
 朝鮮の若者たちは、戦争の間志願という名目で、軍務を強制された。志願しない若者の親たちは投獄されたりした。そういう話はひろ子もきいていた。今、彼等のトラックが、どうしてフール・スピードで駛《はし》らずにいられよう! この秋晴れの日に。その故郷へ向う日本の道の上を。
 午後の影が、斜めに街道の上に落ちはじめた。トラックはまだ来ない。それなのに、見ているとずっとむこうの方で停って、そこから人をのせ、そのまま折返してしまうトラックなどがある。そういう無秩序全体の中に、何かさっぱりしないものがあった。だらしがないというばかりでなく、阪神地方の大都市周辺らしい、何かさっぱりしないものがある。しかも、根気づよく列をつくっている数百人の旅客たちは、トラックが何故こんなにおくれているのか、一つの理由も知ることが出来ずにいるのであった。
 支店長が、腕時計をみては、大阪から支線へのりかえる時間を気にしはじめた。九時半までに大阪駅へつかなければ、きょう、ここまで辿りついたことが意味をなさなかった。
「待っていても、どうもきりがなさそうですな。あなた、すんませんが、私の荷物をおたのみしますぜ」
 列をはなれて支店長が、荷馬車のたまっている後方へ行った。そのとき、ひろ子は、街道の上に異様な列を発見した。それは、顔も土気色、服も青土色の、小人の一隊であった。まるで、地べたから湧いて出たように、ひろ子らの横にあらわれたその小人の一隊は、どれも十二三から十四五どまりの少年たちである。頭をこす大荷物を細い背中にくくりつけて、太い綱をへこんだ子供の胸元でぶっちがえ、重さにひしがれて、両腕をチンパンジーのように垂らして体の前でゆすぶりながら、本当によち、よち、歩いて来る。どうして、こんな体不相応な大荷物を皆が皆かついでいるのだろう。明らかにこの土気色の小人群は、その荷物を背負って明石から何里かの道をここまで歩いてやって来たのだ。困憊《こんぱい》が、同じようにやつれ、同じように瞳のどろんとした子供の顔に漲っている、見るも薄気味わるいこの小人たちが、その上みんな揃って軍服を着せられている、そのことは、トラックを待っている人群を愕かした。
「なんだい、こりゃ!」
 わざわざ列をはなれてそばへよってゆく男たちもあった。
 すると、白開襟シャツに国防色のズボン、巻ゲートルの三十がらみの大柄の男が、あっち向きにひろ子のついわきに佇んでいたのが、不意に、大声をあげて、板でも叩くように二言三言まるで意味のわからないことを叫んだ。そして、手にもっている竹のステッキをあげて、一人一人と土色の小人の背中の荷をたたいた。荷をたたかれた泥きのこのような小人は、鞭を感じた驢馬の仔のように歩調をはやめ、ほとんど駈け出したそうにした。が、途方もない荷は彼等の足に重しを加えている。小人らはチンパンジーの腕を一層ふりたくり、首だけを前にのばし、その伸した垢だらけの細頸に太くうねうねと静脈のふくれ出ているのがひろ子の目にとまった。
 数百、千余の視線が、このおそろしい小人の一隊の上に注がれた。あとからあとから同じような二列縦隊がつづいた。やっと列が行きすぎたとき、
「――少年兵だ」
 一言そう呟く声がした。
 ひろ子は、体が震え出すような気がした。少年兵。――少年兵。どうぞ一人も途中で死ぬことがないように。
 爽やかな午後の街道を暫く暗くして小人群が通りすぎたとき、支店長は、全くその光景には心付かなかったらしく、交渉に亢奮した顔色で列に戻って来た。
「奥さん、早うおいで。馬車がでけましたよ。これで明石まで行きましょう、さ!」
 リュックをかたげてひろ子も小走りに後方
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