んだ」
 がっかりして云うものがある。
「何丁ぐらい歩くのかね」
「二三町です、橋が一つ落ちているだけなんですから」
 先の連絡におくれまいとして、旅客たちは我がちにいそいで歩きはじめた。小さいが、流れの急な川のところで、石橋が落ちていた。棒杙と、横板、俵などで、あぶなっかしく一時の足がかりが出来ている。一区ぎりずつ区切って、こちらからゆくものが渡り、あちらからの通行人がわたる仕組みにしてある。郵便配達が、赤塗の自転車をかついで、用心しながら、こちらへこして来た。ジープが二台むこう側に止って、車と車との間で声高に喋りながら、種々様々の風体をし、しかもどれ一つとしてまとまった服装をしているもののない日本人が、ありとあらゆる荷物をかついで、落ちた橋をぎごちなくわたって往復している光景を眺めている。
 次のトラック連絡は、やや混乱して、四人一列のところだの、三人一列のところだのが出来た。整理員が、ここでは不馴れなのであった。
 ひろ子は、踏台としておかれている空箱からトラックの床に片膝をつき、やっと這い上った。街道のこのあたりへかかると、ぽつぽつ遠い路を歩いて来たらしい人の群にすれちがいはじめた。ひろ子が、立って揺られているすぐ前に、運転手台の屋根にむこう向きに並んで、ぴったりより添って立っている若い一組があった。女は、ふわふわと髪の房をたらし、軽い水色の絹糸のスウェターに、踵の高い、旅行向きでないエナメル靴をはいている。無帽の青年の方は、新しい秋の背広で、二人でおもやいらしいスーツ・ケースを足許においていた。いかにもあやうげな一組ではあるけれど、若い二人は、大勢かたまった人群の真中で、全く自分たちきりのこころもちでいる。向い風がひどく、青年は自分の上衣をぬいで女の肩にかけてやった。娘は片手で、喉の前にその上着を抑え、青年は娘の腰に腕をまわし、二人きりの世界のようにがんこに前方だけ見て揺れてゆく。ひろ子は、トラックの上で小さいふくさ[#「ふくさ」に傍点]を出し、髪の毛が吹きちらされる頭を結えた。
 このトラック道中は僅か十分足らずで、道路崩壊のためにまた途切れた。二里たっぷり歩かなければ、次の連絡がない。そう分って、旅客たちは不機嫌になった。
「あれっくらい、二日もありゃ直せちまうじゃないか、馬鹿馬鹿しい。土台、不親切だ。乗せるときにゃ、まるで先のことを教えないで、乗せときやがって」
 それはひろ子も同感した。先のことを決してあるとおりみんなに知らせない。おさきまっくらのまま、目前の一寸きざみで釣ってひっぱってゆく。この街道のトラック連絡がそうであるどころか、到るところの役所、軍隊、監獄、すべてが同じやりかたでやられている。日本人は、この日本流のやりかたで、各自の運命のどたんばまでひきずられて来たのであった。ひろ子は、心に憤りを感じた。
 支店長は、父子づれの荷車挽きをつらまえ、一ケ十円ずつで荷物を載せさせた。土地のものが徒歩連絡者の荷運びに稼いでいるのであった。
 姫路をはなれれば離れるほど、空は本極りの秋晴れとなった。彼等が後にして来た姫路あたりにだけ、特別しまりのない雨袋が天にかかっていたのかと思う快晴になった。一筋の国道はゆるやかな勾配で上り、また下って秋の日に輝やき、歩いてゆく男たちの白シャツをその道の上に目立たせた。土埃は雨に洗い流され、影はくっきりと濃く、かたい道路の上にある。
 ひろ子は、女学生靴をはいた自分の歩幅のぎりぎりで歩いた。
「奥さん、その荷車のうしろへつらまって歩く方がいいですよ。――はなすと、ズッとおくれてしまいますぜ」
 明石が近くなると思うにつれ、従って彼の家が間近くなるにつれ、支店長は熱心にひろ子を督励した。荷物をのせた一かたまりの人々が、その一台の荷車のぐるりを囲んで歩いた。そういう群が、前にもうしろにも、やって来る。あっちからこちらへ来る通行人は益々殖え、そこにも、ひろ子のように荷車を中心とするかたまりが歩いているのである。
「日に、よっぽどの稼ぎだろうなあ、この塩梅だと」
 鉢巻をした荷車ひきは、格別汗もかかず、ゆるい下りで足早になりながら、用心ぶかく、
「さあな」
と云った。
「なんせ、こんだけの人数が歩くんだからね……」
 体力に合わせては速く、大股に日向を歩きすぎて、ひろ子は胸が苦しくなって来た。もうついて歩けないと思ったとき、荷車ひきは、街道ばたへよって行って、そこへ梶をおろした。幾台もの荷車がとまって、人がたかり、荷の上げおろしをしていた。半丁ほど先に、トラックを待っている長いひろがった列があった。
「ここまでなんか」
 意外そうに支店長がきいた。
「あこからトラックが出る」
「そうか、なるほどね、これが『三里』だったか」
 実際に歩いたのは一里あるかなしの距離であった。しかし、ひ
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