しょう、こうしていたってきりがない」
 新しい伴れが、警察に宿屋を斡旋させようと提案した。数百人の旅客が、白鷺城跡の見える駅前の仮小舎にかたまって途方にくれた。
 焼跡の大通りを、大分歩いて市庁の建物のあるところへ出た。ジープや大型トラックが、雨水をしぶかせて、城下町の通りを疾駆している。M・P本部の玄関で若い白ヘルメットが、金色の長い睫毛を伏せるようにして日本のヒメジの十月の雨脚を眺めていた。
 三人は警察の大玄関をのぼって行った。背の高い新しい伴れは、「案内」と英語の札が出ているところへ斜に片肱をかけて、用件を話し出した。年輩の巡査が、
「さあ、どうも……お気の毒さまですが、何しろ日に何万という旅客のことでして……」
 うしろを向いて、同僚と何かうち合わせ、いやあすこは、もう入れまい、というような話をした。多くの旅館は、昨今慰安所になっているのだった。
「ひとつ、何とか御配慮願いたいもんですな……」
 片肱をかけて話している伴れは、チョッキのポケットから巻煙草入れを出し、一本ぬいてゆっくり火をつけた。それはいかにも、相手にも、さア一本、と出すことになれている者らしい素ぶりである。全体が酒場の脚高椅子のわきに立っている身ごなしである。ひろ子は、すこしはなれた床の上にリュックをおろしてそれを眺め、好奇心を動かされた。几帳面で、渋ごのみの服装と、その男のどこやら伝法な裏の裏まで知っているとりなしとは不調和なようで、調和している。何を商売とする男なのだろう。
 案内係との交渉が、望みうすなのを見ると、赧ら顔の支店長は、小柄な体を心配そうに動かしながら、誰にともなく、
「この辺に、第一建物会社の事務所ありませんやろか」
と云った。
「もとは、ここのついねき[#「ねき」に傍点]にあったんですが……」
「第一建物会社?」
「その会社やったら、元のところに仮事務所建てています」
 若い女の事務員が、人だすけの出来ることを自分も愉快に思う明るい善良な声で口を挾んだ。
「元のところにありますか!」
 いかにも助かった、という風にききかえした。
「第一建物ですやろ?」
「そうです」
「そやったら、ほんと。元のところです」
「開けてまっしゃろか」
「ええ、事務はとっておられますわ」
 支店長は、あわてて、
「ありがたい、ありがたい」
 リュックを背負いあげた。
「あなたがた、ここ動かんと待っとって下さい。事務所さえあったら、きっと宿ぐらいなんとかさせますから……ここ動かんと待っとって下さい」
 案内係は、没義道《もぎどう》につっぱねないが、積極的な助力は出来かねた。
 じき、支店長が戻って来た。
「お待たせしました。さあ、事務所へ行きましょう。大丈夫です、宿は何とかなります」
 警察から七八間先の並びに、第一建物会社と大きい看板をかかげたバラックがあった。
 奇妙な組み合わせの三人の道づれが、一列になって入ってゆき、狭い机と床几の間で、姫路支店長というのに挨拶した。
「石田と申します、思いがけず大変御厄介になりまして……」
「いやいや、わたしの方が、どんだけお世話になったかしれません」
 眼の不自由なその人は、広島辺の、同じ会社の支店長をしているのであった。
 案内の若い者につれられて、三人は白鷺城の濠《ほり》について、人通りのない雨の道を、旧城下町へ入って行った。白鷺城は、遠目に見る天守閣の姿が空に浮きたって美しく、往復の汽車から眺めて通るひろ子の目にのこった。古い濠の水は青みどろに覆われていた。濠端の古い柳が、しずかに雨にもまれている。一つの橋をわたった。河に添った横通りの方に水が出ていて、女が番傘をさし、高く裾をかかげて、ザブ、ザブあちら向きに通ってゆく。一行は、水の出ていない方の通りを真直にゆき、二つばかり角を折れて、狭い通りにある一軒のしもたや[#「しもたや」に傍点]の土間に入った。
 土間まで入ってみれば、上り端の畳に衝立があったりして、人を泊める家らしい。通りすがりの外見では、それらしい様子がうかがわれず荒廃のあらわれたなみの家なのであった。先着した三人の若い復員兵が、濡れた皮革の匂いをさせながら、上り口いっぱいになって靴をぬぎかけている。
 ひろ子らのとおされたのは裏二階の六畳であった。日頃は家族の誰か若い女の室となっているらしかった。友禅メリンスの覆いのかかった鏡台があった。その上に白粉の箱が出したままである。古びた三尺の縁側の外は手摺で、そこに迫って裏の篠笹山が見上げられた。番小屋のようなものが、輪郭の柔かなその頂に建てられている。
 狭い裏梯子から、風呂場や厠《かわや》に行くようになっていた。その裏梯子に雨洩りがしていたし厠への廊下は、しぶきをとばして雨が落ちかかっている。階下には、様々の年齢の多勢の家族が格別客に気がねする
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