ればたちよる人の影もまれである。
 斯んな村にも、厳な大神宮がある。檜と杉の森を背に、三番池を見下して居る。村に置くには勿体もないほどであるけれ共、主だった事々が行われるにはいつも、県庁の役人が出向くのが常である。
 とうに別格官幣大社になるはずではあるけれ共、資産のとぼしいばかりに今も尚、幾十年かたここに建てられたと同じ位に居なければならないのであった。
 それほど差し迫った生活の味を知らない私共は、真の貧と云う事は知らない。
 精神的に慰安を受ける或る物を常に頭に置いて考えるので、金もなく、生活に苦しんでも、不義の富をむさぼるよりは意味深いと云う事を云う。けれ共、農民が、何の慰安もなく、確信も主義もなく、只貧しく、只金がなく、冬の長い北の国に日々の生活に追われて居て考える貧と云うものに対する感じは何もないのである。只、恐ろしい、只逃れたいばかりのものである。
 私共の思う貧にはいつも精神的の富みがつきまとうて居る。
 けれ共、物質的に精神的に貧しく金のない此等の農民の生活は実に哀れな、より所のない、一吹きの大風にもその基をくつがえされそうなものである。

   (二)[#「(二)」
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