んだっちゅが私《わし》でも赤坊《やや》の時があったと思やあ不思議な気になりやすない御隠居様。
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他愛もない声を出して笑う。
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「そうそう、私《わし》がお暇いただく三日ほど前にお国の母様《かかさま》が、東京さあ嫁《かた》づいて居なさる上の娘さんげから送ってよこしたちゅうて紫蘇を細《こま》あく切って干《ほし》た様なのをよこしなすったんですがない、瓶の蓋が必[#「必」に「(ママ)」の注記]してあきませんでない又、東京さ、たよりして、どうして使うべえてきいてやりなすたのえ。御隠居様あ、御存じなんべえから、分ったらちょっくら教えてあげて参じ様と思いましてない。
「蓋に紙が張ってあったんだろう。
「ありやした、色取った紙が。
「その紙をあけると、蚤取り粉の曲物《まげもの》の様に穴の明いた蓋になって居るからそこから御飯にかける様になって居るんだよ。しめりがこない様にそうするんだろう。
「そうでやすか、そんで始めて合点が行った。田舎者はこれですかんない。
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一寸背をちぢめる様にして愛素笑いの様な事をする。祖母は婆さんに与《やろ》うと思ってカステラを丁寧に切って居る。何にも慰みのない祖母は東京から送ってよこすお菓子を来る者毎に少しずつ分けてやって珍らしい御菓子だと云って喜ぶのを見るのを楽しみにして居る。田舎は時間と云う考が少ないのでいつと云う限りなしに来ても来ないでも同じ様な者が沢山来るのでその度毎に出すとかなり沢山あったものでもじきになくなって仕舞う。カステラがあと一切分ほか残りがなくなったりすると急に減り目を目立って心に感じて、
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「もうこれっぽっちになったのかねえ。
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なんかと云う。
祖母の口へ入るより来る者の喰べる方がどれだけ多いか分らない。
東京の習慣だと客に行って出された菓子をあるだけ喰べる事はしないので、始めのうち炉端へ座り込んで自分で茶をつぎ、よっぽど沢山ででもなければ残さず出したものを喰べる無邪気っぽいお客連を見ると変な気持がした。
お繁婆さんは木皿へ盛って出されたカステラをしげしげと見ていろいろの讚辞を呈してから大切そうに端《はじ》から崩して行く。実際この村や町では藤村のカステラの様な味のものはさかさに立っても喰べられないのである。
お繁婆さんが永い事かかってカステラを喰べ幾重にも礼をのべて帰った後から、元、小学校の教師か何かして居た人の後家が前掛をかけて前の方に半身を折りかぶせた様にして来た。何でもない、只町に新らしい芝居のかかった事とこの暮に除隊になる、自分の家の前の息子の噂をしに来たのである。
祖母はこの婆さんを好いては居ない。げびた話ばかりして何かもらうか食べるかしなければ帰る事のない人だからである。
貧しいと云っても比較的東京の貧乏人よりは何かが大まかで、来た者に何かは身になるもの、例《たと》えば薯の煮たの、豆のゆでたの、餅等と云うものを茶菓子に出すので、家から家へと泳いで廻って居るこの人等は三度に二度は他人の家で足して居られるので、孤独の貧しい頼りない生計も持って居る事が出来るのである。田舎の純百姓で針の運べる女は上等で大方は少しまとまったものは縫えず、手は持って居ても畑に出て時がないので、そこに気の附いた町の呉服屋では襦袢から帯から胴着まで仕立てあげたのを吊して売って居る。この婆さんは呉服屋の仕立物をうけおい、その呉服屋が此村に持って居る貸家に、長い事、不精に貧しく暮して居るのである。
不幸な人と云わるべき老婆である。全くの孤独である。子も同胞《きょうだい》も身寄《みより》もないので家も近し、似よった年頃だと云うのでよく祖母の家へ話しに来るのである。
年を取った象と同じ様に体中に茶色の厚いたるんだ皮がはびこって居て、眼も亦それの様に細く気がよさそうにだれて居るのである。大抵は白い様な髪を切りさげて体からいつも酸《す》っぱい様な臭いを出して居るが、それは必[#「必」に「(ママ)」の注記]して胸を悪くさせるものではなく、そのお婆さん特有の臭いとして小さい子供達や、飼いものがなつかしがるものである。笑う時にはいつもいつも頭を左の肩の上にのせて、手の甲で口を押える様にして、ハッハッハッと絶《き》れぎれに息を引き込む様に笑った。その様子が体につり合わないので、笑う様子を見て居る者がつい笑わされるのである。
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「まあ、貴方、郡山《こおりやま》(町の名)さ芝居が掛りましたぞえ、東京の名優、尾上菊五郎ちゅうふれ込みでない。外題は、塩原多助、尾上岩藤に、小栗判官、照手の姫、どんなによかろう。見たいない。
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祖母の顔を見るやいなや、婆さんは、飛び立っ
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