声が私までが良い気持になる様にひびいて隙間から、草を口うつしに喰べさせて居るのが見える。
 牛舎の中へ入って行く、馴れない故《せい》で牛の鼻柱の前を通るのはあんまり良い気持はしないけれ共、静かに草をかんで居る様子は、どうしても馬よりはなつきやすい気持を起させる。ズーッと中に入ると消毒した後の道具を拭いたり、油をさしたりして居る男達が五六人居る。田舎の牛乳屋にしては道具でも設備でもがよく整って居ると思って見る。
 主屋に行くと誰も見えない。真黒いミノルカとレグホンが六七羽のんきにブラついて居る。中を一寸のぞいたけれ共人影が見えないので誰かにきいて見ようと思って又牛舎の方へ行きかけると、裏の方から、主婦が出て来た。
[#ここから1字下げ]
「まあいらっしゃいまし。よっぽどお寒うございますねえ、お上りなさいまし。
[#ここで字下げ終わり]
と気味よく云う。
 自分で結う丸髷をきれいに光らせて縞の筒袖の上から黒無地の「モンペ」をはいて居る。草鞋を履いてでも居そうなのに、白足袋に草履《ぞうり》があんまり上品すぎる。
 足の方を見ると、神社の月掛けを集めて廻る男の様な気がする。年の割にしては小綺麗に見える人だ。二夫婦一緒に居るのだから気がねが多いと云って居る。いそがしそうだから立ったまま用向を云って今留守な主人が帰ったら伝えて呉れと云って置く。
 お上んなさいお上んなさいと進められてもいそがしそうだからと云ってかえりかけてる処へ大きな包をしょってお繁婆が来た。買物をたのんだと見える。
 しゃぼんだの足袋だの砂糖だのをならべる。
[#ここから1字下げ]
「こんなものまで町でなければありませんのですからねえ。
[#ここで字下げ終わり]
と云って居る。
 足袋が目立って不恰好だ。
 砂糖が二銭上ったと云いながら黄色い大黒のついた財布を出して少し震える手で小銭をかぞえて縁側にならべる。しゃぼんを一銭まけさせたと手柄顔に話す。
 帰る時にミノルカが生んだのだと云う七面鳥の卵ほど大きい卵を二つくれた。東京ではとうてい見たくとも見られるものではない。大いそぎで勘定をすませたお繁婆は私のあとから追掛けて来て、
[#ここから1字下げ]
「御邪魔になりやすっぺ。
[#ここで字下げ終わり]
と云う。
 疲れた様な足つきの婆さんに中央《まんなか》を歩かせて私はわきの草中を行く。
 甚助の家へ今朝よったから昨日のことを話した。御詫びに行くと云って居たがほんとに行ったか、なんかと云う。
 子供のことを一々そんなにとがめだて仕ずとも良い。私は何とも思って居ないんだからと云うと、
[#ここから1字下げ]
「何そんな事がありますぺ、人がねんごろに問うてやるに石投げるなんちゃ此上ねえ悪い事なんだっし。
[#ここで字下げ終わり]
 腹を立てた様に太い声を出して云うのである。後生願いの良い婆さんだから私に、本願寺にお参りさせて呉れろと云う。案内して呉れと云うのか私の金で連れて行ってくれと云うのか分らない。
 一つ二つ短かい距離《みちのり》を行く間に「あみださま」に関した話をして聞かせた。
 あんまり御噺[#「噺」に「(ママ)」の注記]話めいて居るので笑いたい様な顔をすると、
[#ここから1字下げ]
「学問の御ありなさるお前様方にゃあ可笑しかんべえけど私達《わしたち》は有難がって居りますのさ。
[#ここで字下げ終わり]
といやな顔をする。見かけによらない話を沢山知って居る婆さんだ。
 祖母は年柄ではさぞ信心っぽい人の様だけれ共案外で別に之と云う宗教も持って居ないので、私達のところへ来ると熱心に「あみださま」の講釈をする。
 口振りでは、彼の世に、地獄と極楽の有る事を信じて居るらしい。一体、村の風で非常に信心深い村もあるが此村はさほどでもなく、他人《ひと》の家へ来て仏様の話をするのは此の婆さん位なものである。後生願いの故《せい》か行儀は良い。働き者でもあるから祖母は好いて居る。
 婆さんは家へ来ると井戸端ですっかり足を洗い、白髪を梳しつけてから敷居際にぴったりと座って、
[#ここから1字下げ]
「ハイ、御隠居様、御寒うござりやす。御邪魔様でござりやす。
[#ここで字下げ終わり]
と云う。
 歩いて居ると体はまっ直《すぐ》になって居るが、座るとお腹《なか》を引っこめて妙に膝が長い形恰になって仕舞う。
 婆さんはこの前の日まで中学の教師の家へ手伝に行って居たとか云って、
[#ここから1字下げ]
「めんごい赤坊さまでござりますぞい。眼が大きゅうて、色が抜けるほど白くてない。先生様、そっくりでいなさりやす。奥様も順でいなさりやすから昨夜《よんべ》お暇いただいて来やしたのえ、父様《ととさま》も母様《かかさま》も、眼の中さあ入れたいほど様子で居なさる。赤坊《やや》のうちは乞食の子さえめんげえも
前へ 次へ
全28ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング