下げ]
「あないにして食うても、美味《うま》かんべえかなあ。何も彼も餓鬼等の中《うち》がいっちええわ、なあ、お前様。
 お前様みたいな方は、若いうちも年取りなっても同じなんべえけど、己等みたいなものは、婆《ばば》になったらはあ、もうこれだ、これだ。
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と変な笑い方をして手を左右に振った。
 けれ共、この婆には、実の子が二人もあって皆男で今は村で百姓をして居るのだから、こんな草刈をたのまれたり、人の水仕事を手伝ったりしないで、かかり息子の家で孫の守りでも仕て居たらすみそうに思えた。
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「お婆さん。何故、息子《むすこ》の処へ居ないんだい。
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 私は、かなり曲った腰と、鎌を石でこすって居る、今にもポキーンと骨のはなれそうにかさかさの手をながめながら云った。
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「はい、お前様、うちの息子は皆正直ものでなし、けれど、此村の風《ふう》で、自分の持ち畑とか田がなけりゃあ、働ける間《うち》、働くのがあたり前になっとるでない。
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 此の婆が、生れは越後のかなり良い処で片附《かたづい》てからの不幸つづきで、こんな淋しい村に、頼りない生活をして居るのだと云う事をきいて居るので、その荒びた声にも日にやけた頸筋のあたりにも、どことなし、昔の面影が残って居る様で、若し幸運ばかり続いて昔の旧家《きゅうか》がそのまま越後でしっかりして居たら、今頃私なんかに「お婆さんお婆さん」と呼ばれたり、僅かばかりの恵に、私を良い娘だなんかとは云わなかっただろうなんかと思えた。
 松の木の根元にころがして置いた「負籠《おいかご》」に刈りためた草を押し込むと、鎌をそのわきに差し込んで、
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「甚助がさあ行って見ますべい。
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と云うので、私も物珍らしい顔をして後から附《つい》て歩いた。その時まで、私は甚助って云う百姓の家はどれだか知らなかった。けれ共、それはすぐそこに裏口のある、私が先刻《さっき》っから見つづけて居た子供ばかりの家であった。遠慮もなく入って行く婆の後から、自分も中に入って、今まであすこで見て居たより、もっとひどい様子にびっくりした。
 さっきは満足な畳だと思って見たのは「薄縁《うすべり》」とも「畳」ともつかないもので「わら」の床《とこ》のある処もあり、ない処もある非常にでこぼこした見るから哀れなもので、畳ばかりではなく床《ゆか》までベコベコになって居た。
 婆は一番年上の男の子に、
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「父《ちゃん》は?
 母《かか》は?
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と云ってききながら上り框に腰をかけて炉のほだで煙草を吸ったりした。
 一人の子の前がはだけて膝っ子僧が出て居るのを祖母がしてやる様に、しずかに可愛がって居るらしくなおしてやりながら、
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「お前《めえ》さま、今まで、こんなむさい家は見なすった事がなかっぺい。
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と云って大きな声で笑った。
 私の見なれない着物の着振り、歩きつきに子供等は余程変な気持になったと見えて、誰一人口を利《き》くものがなくて、只じろじろと私ばかりを見て居る。
 それをわきで見ながら婆さんは、
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「ひよろしがって居ますんだ(恥かしがって居るのだ)。
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と云う。
 私は、田舎の子の眼に見つめられる事にはなれっ子になって居たので格別間が悪《わるい》とも思わなかった。
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「父さんや、母さんは?
 淋しいだろう?
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とやさしい軽い笑をただよわせながら、一番大きい男の子に云った。
 土間に下りて、私を後の方から見て居た子はいきなり大きな声で、
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「ワーッ
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と笑った。
 私は少しいやな気持になった。けれ共、再び、
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「ねえ、淋しいだろう。
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と云った時、
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「お前の世話にはなんねえからなっし。
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と怒叱《どな》られた時ほどいやな気持にはならなかった。先ず、あんまりの返事に私は男の子の顔を見た。上り框の婆さんの傍に立って私を見下して恐ろしい顔をして怒叱《どな》ったのであった。
 私より婆さんの方がなお驚いたらしかった。その児の方を振向くと一緒に手を引っ張りながら、
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「何云うだ。そないな事云うものでねえぞ。
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と云った。
 私の心の中には、一種の「あわれみ」と恥かしい様な気持が湧き上ったのであった。
 私は、ほんとうに只、親切の心から云った言葉をこんな荒々しい言葉で返
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