ままの紫っぽい色がただようて、枯木の梢の太陽が四方に放散する。紅の輝きの流れが見られる様である。
雪降りの日の様に見えるかぎりは真白で散り敷いた落葉の裏表からは絹針より細く鋭い霜の針がすき間もなく立って居る。その痛いように見える落葉をつまむと指のあたった処だけスーッととけて冷たくしみて行く。葉の面を被うて居る針は、見れば見るほど面白い結晶体で、山の様な、谷の様な、花や鳥又は一寸法師の様な形まで、せまっくるしい細かい処に表わして居る。樹木の影が地に落ちて、はでな縞目をつくり、処々に小石が宝石の様にかたい反射光線を出して居る。外の景色ものどかならば、人々の気持も静かである。元日だと云っても別に之ぞと云う東京ほどのにぎにぎしさもない。
来る人も少ないし、女家内でもあるのでおとそなんかも少しほかない。一盃おとそを飲めば後は熱酣でなければ飲んだ気のしない此処いらの連中のために酒が珍らしくまとまって台所にあるけれ共、それも、女ばかりの処であんまりお心よくして、酔いしれて、管《くだ》でも巻かれると始末が悪いと云って加減がしてある。
祖母と私は紋の附いた羽織を着、女中も、仕立下しの立ったり居たりするたんびにカサコソと音をたてる様な着物を着て、赤っぽいメリンスの帯を、柔くたきすぎたお萩の様にまとまりの悪いデロリとした形恰に結んで居る。顔の処々に淡雪が遺《のこ》って居る。平常、あんまり黒っぽくて居て、急ににぎやかな色をつかうので、そんな年でもないのに、いかにも釣合の悪い様子に見える。女中ばかりが、いかにもお正月を迎えた様だ。
校長の家の妻君は、紬の紋附を麗々しく白衿で着て居る。ふだんのかまわないなりの方がその人を可愛らしく見せる。田舎田舎するのが却って目立つ。
年始に来る者も来る者も女まで、赤い顔をして居る。皆それぞれさっぱりした装《なり》をして袴をはいて居るのもある。いつになく儀式ばった様子で来るので箸のあげ下しにも気を用《つか》って居る様に見える。
年賀の言葉なんかも半分位云って後《あと》はのみ込んで仕舞う。
来るものも来るものもおとそとお重詰とを食べて行く。
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「もうはあ、いただかれませんからハイ。
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と云いながら、出したものは食べる。
日露戦争に参加して、斥候に出て捕虜になった在郷軍人は、東京の家の書生の兄弟で、いい
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