から二斗もちごめを計ってやって居た。此処いらの家では大抵自分の家でつくので、中学の教師の家だの何かでそう沢山頼まれもしないのだそうだ。若し出来るなら「のし餅」にしてくれないかと云ったら、お雛さんの時の、菱餅の様になら出来ると云うので、それをもう少しうすく四角く大きくして呉れと云ってやる。寸法と厚さを持って来た帳面に書いてやる。わかった様にうけ合って行ったけれ共、どんなものが出来上るやらわからない。あの手で千切ったベロベロの餅は、小さく四角にきちんと切った餅を澄んだ汁の中に入れてばかり食べる癖がついて居るので、とうてい餅らしい気持でのみ込む事は出来ない。祖母と女中はお年玉にやる子供の着物や「ちゃんちゃん」を縫うのにせわしく、箪笥の下の引出しには元結だの風呂敷、袢衿、前掛地の様なこまこましたものが一杯になった。
 三十日の日に煤掃きを若い者の居た時はさせたと云う事だけれ共、女ばかりで、寒いのにガタガタするでもないと、三、四月の暖くなるまでのばして、外廻りを村の者に一通り掃いてもらった。いつもいつも煤掃きじゃ、障子の張りかえじゃ、自分の部屋の大掃除とセカセカして二十六日後落ちつく事がないのに、いつもどおりに変りない静けさに居る事が不思議な様な又、間のぬけた気持がする。
 つめの日に夕方甚五郎爺が来た。鶏を一羽と卵と菜を沢山置いて行った。
 裏の竹藪から二本の竹を切り、庭の隅の松の枝を雌、雄二本下して、麻繩のきれいなもので七五三に結びあげ玄関前に立て、水口の柱に枝松が釘で打ちつけられた。皆甚五郎爺の手際である。風呂を振舞われ、地酒によって四斗俵を四俵運べた若い時の力を自慢したりした。祖母は七十より四つ五つ上になった自分の年を数えていろいろの事に出会った思い出を話し、
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「もう私の様になってからはもうだめだ。
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と云いながら、まだ肩や腰が痛い位で壮健で居る自分の体が嬉しい様に微笑んで居る。非常におだやかに来る人もなく、ぼんやりと大晦日が更けて行くのでいつもよりのびやかに次の年を迎える気持が嬉しい。

   (七)[#「(七)」は縦中横]

 非常に天気が良い。
 田畑の面のはてしない広い処に太陽がゆったりと差して、黄金色の細かい細かい粉末が宙に入りみだれて舞って居る様に見えて居る。立木の陰、家の陰などは濃くたちこめた靄《もや》その
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