処に来て持ちあげられると変な気がする。腹が立つのではないにきまって居るが、何だかいかにも皮肉な様な、間の悪い様な、くすぐったい気持がする。けれ共、あんまり自分達の世界と私達の世界を違えて考え、何の苦労も努力もしずにのらくらと暮して居る様に、馬鹿馬鹿しいほど云いたてると、仕舞いには私は腹をたてて仕舞う。その時も私は歩きながら大つまみに東京の生活振りを話してきかせた。皆は東京と云えば明るい方面ばかり見て居るので容易に私の辛い、みじめな生活の有様を信じない。
 長い長い田圃道を通りすぎて町の一番はじにある傘直しの家の前へ来た時には、お互に気持のわかりにくい私共はもうだまり返って只セッセと歩いて居た。顔が赤くなって、赤い顔の中央から白い湯気の様な息が立って居る。お繁婆さんは、手拭を出して頸の廻りを拭いて居る。郡役所の下へ来た時にはもう、間の抜けた楽隊の音が聞え出し、停車場から荷物を持って来る配達が私の顔をにらんで通った。思わず私は顔を一撫でして女中と顔を見合せて笑った。婆さん連は、端折って居た裾を下した。広い町の両側の店々の飾りを見て歩いた。
 よく見世物の小屋に立って居る様な幟りに「歳暮大売出し」「大々的すて売り」「上等舶来、手袋有※[#ます記号、1−2−23]」などと書いたのがバタバタ云って居る。東京で歳暮の町を歩いて一番目につく羽子板等はあんまり飾ってなく、あれば色取った紙を板にはりつけた二三銭のか、それでなければ八重垣姫や助六等を粗末な布で押し絵にしたものばかりである。凧の方がまだ見事に書いたのがある。まだ小学があると見えてそう子供は居なかったけれ共、十四、五からの娘達が頸巻をし、手を懐に突込んで、雑貨店だの呉服屋の店先に群らがって居る。大抵は日本髪にして居る。此処いらの人から見れば、随分はでに見える着物を着て、大股にスタスタ歩く私を、いつまでも見て居るのが気に障った。化粧品店には、あざやかな掛ける人もないリボンや新ダイヤの入った大きな櫛や髱止《たぼどめ》が娘達の心を引いて光って居る。
「おともさん」が縫いあげた、帯だの、着物だのの賃銀を主屋の方に行ってもらって居る呉服屋の店先で、私は祖母の胴着と自分の袖にするメリンスの小布《こぎれ》を見て居た。出すのも出すのも地味なのばっかりなので、私は袂を出して見せて、こんな様なのを見せて呉れと云った。番頭は早口に遠慮なく出させ
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