り]
とつける人である。瀬戸物かきの名人だと云う評判もある。それは事実らしい。日に一度、焼物と焼物のぶつかり合う、あの特別な響のきこえない時はない。
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「気をつけろっちゃ。
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 校長さんは怒鳴るのである。
 毎週土曜に町まで通って、活花を習って居るのが流石はとうなずかせる。そんな時、主人は学校からかえって来て、南金錠を自分であけて雨戸を引きあけ細君の置いて行った膳に向って長い事かかって昼飯をするのである。
 毛むくじゃって云っても、ああも毛むくじゃらなものかしらんと思うほどの毛むくじゃらで、髯は八の字に非常な勢ではね上り、その他の顔中、こまかい和毛《にこげ》の黒いのが一杯に掩うて太陽に面して立った時は、嘘でも御まけでもなく、顔から陽炎《かげろう》が、ゆらめきのぼって居る様に見える。
 人は好い、その細君を大切にするだけ人が好いのである。私に少しまとまった話をするのは此人だけれ共、幾年か昔の記憶のままの頭は折々、妙な事を云わせる。人によって言葉を選まないから、或る人は威厳のある先生様だと思い、或るものは、分らない事を云う御仁《ごじん》だと思う。
 先生の生活はまことに平穏無事である。そして幸福である。一番大きな息子は、京都で医者になってもう細君もある。けれ共、なぐさみに小さい男の児を育てたいと云って居るのである。
 斯うして心配なく、こんな空気の好い処に住んで居て、早死にをしたのを聞いたら私はきっとそれを間違いだろうと云うだろう。
 秋の末頃までこの村の人達は生きて居るけれ共、一雪下りるともう死人の村と同様で、人々は皆家へ閉じこもり、「わら靴」を編んだり「負いかご」を作ったり草履を作ったり、女は出来るものは縫物だのはたを織ったりする。折々田や畑に見える人影は、たまあに自分の持地を見まわる人の影で、往還でさわいで居るものは犬と子供と鶏だけと云うほどになる。
 猫などは十一月に入ると大方は家に引込みがちである。この先生は十二月の末頃までは、雨が降って、吹雪がしても通わなければならない。
 先生にとって最も苦痛な冬は草の色にも木の梢にもこの頃は明かに迫って来た。厚い外套と深靴、衿巻、耳掩を、細君が縁側にならべぱなしで家を人っ子一人居ずにして、いやと云うほど怒られて居たのもついこないだの事である。

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