中横]
私が斯うやって、貧しい平凡な村に来て、一冬越そうなどとは、今斯うなって見る時までは、思いさえもして居ない事だった。東京に居て、越す冬は、今此処で会う晩秋位ほか、寒さも、淋しさも、感じはしない。いくら寒いと云っても道をあるけば家屋は立ちならんで、往来もはげしいし、家の中の燈だの、火だのが外まで明らかに美くしい輝を見せて居る。
冬の淋しさ、それは斯んな北の人の乏しい山ばかりの貧しい村などに於て、ことに深く深く感じる事である。恐ろしいばかりの淋しさを持って冬は日々に迫って来るのである。
収獲がすんだ頃になって気まぐれな私は此処へ来た。わざわざ寒さの中へ飛び込んだ様なものだ。来年の冬は、私は又東京の家で、ふくれた様に火にあったまって暮す事だろう。寒ければ逃げて行く家を私は持って居る。逃げ様にも逃げられぬ、この村人の哀れさを思う。霜はもう十月の末頃から見える。けれ共流石に日のある中は袷で素足で居られる。もう十一月十二月となるとすっかり冬景色になる。こないだうちから山の頂には雪が見えて居る。四方を山にとりかこまれ、中央に低くある村には、急に冬が来て、去る時はと云えば、いつまでもいつまでも去りかねた様な様子をして居るのがならわしである。
四辺の木立はすっかり枯れてしまった。三番池の周囲の草原の草は皆、かれはてて、茶色になり、朝々の霜で土がうき、ポコポコになって、見通せる限り皆、なだらかなでこぼこになって居る。桑は皆葉をはらい落して、灰色のやせた細い枝をニョキニョキと、あじきない空のどんよりした中に浮かせて、その細いに似合わない、大きな節や「こぶ」が、いかにも気味の悪い形になって居て、見様では、よく西洋のお伽話の插絵の木のお化けそっくりに見え、風が北からザーッと一吹き吹くと、木のお化けは、幾百も幾千も大きな群になって、骨だらけの手をのばして私につかみかかろうとする様だ。川の水も減って、赤っぽい粘土のごみだらけのきたない処が見え出し、こちこちになってひびが入って居る。小魚の姿などはとうにから見えないのである。
町につづいて居る小高くなって居る往還は、霜が降っても土は柔くなろうとはしず、只かしかしにかたまって、荷馬はよく蹄を破るし、人は下駄を早くいためる。電信柱は、ブーン、ブーンと、はげしいうなりを立て始めた。
何と云う寒い淋しい事だろう。灰色の空は、はてしもなく
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