まれな、しなやかな自然の美は此村に沢山与えられたけれ共、物質の満足、精神的の美と云うものは、此村には十分与えられてない。絶えず、不自由に追い掛けられて、みじめな、苦しい生活をしなければならない理由《わけ》。それは、その村人自身にならなければ分らないけれ共、気候が悪いし、冬の恐ろしく長い事、諸国人の寄合って居る事、豊饒な畑地の少ない事、機械農業の行われない事、などは、他国者でも分ることである。
 明治の初年、この村が始めて開墾されてから、変った生活を求めて諸国から集ったあまり富んでいない幾組かの家族は、あまり良いめぐり合わせにも会わないで、今に至って居るのである。
 米沢人はその中での勢力のある部に属して居る。日常の事はさほどの事はないけれ共、少し重立った事になると生国の違いと云う感じが都の者ほどさっぱりとは行かず、とけがたいわだかまりになってお互《たがい》の一致を欠くのであった。
 土地の大抵は粘土めいたもので赤土と石ころが多く、乾いた処は眼も鼻も埋めて仕舞いそうな塵となって舞いのぼり、湿った処はいつまでも、水を吸収する事なくて不愉快な臭いを発したり、昆虫の住居になったりする。長年耕された土地でさえも肥料の入るわりに良い結果は表れない様な地質である、その上に耕すのも、ならすのも、収獲するにも、工業的《こうぎょうてき》の機械を用うる事はなく、鍬《くわ》、鋤《すき》、鎌《かま》などが彼等|唯一《ゆいつ》の用具であくまでもそれを保守して、新らしい機械などには見向きもしない有様で、それだから機械などはほとんど村に入り込んでは居ない様子である。
 地質がよくないとは云え、機械農業が発達さえすれば、今までより少しは多く収獲が有るのは定《き》まった事だろうのに、農民は、発明される機械を試用する気にならず、又其を十分利用するだけ、序[#「序」に「(ママ)」の注記]的な頭脳は無いものの方が多いのでもあろう。
 斯うして、荒れやすい土を耕し、意地《いじ》の悪い冬枯と戦うにも只、昔からの伝習だの、自分の小さい経験などを頼む事ほかしない。此処いらの純農民は、随分と貧しい生活をして居る。
 養蚕《ようさん》は比較的一般に行われて、随って桑畑も多い。けれ共、大業にするのではなく、副業《ふくぎょう》にしているのだからその利益もしれたものである。
 一年の間、春、夏、秋、と三度蚕を飼ってあがる利益
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